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イーロン・マスクとスティーブ・ジョブズ、ピーター・ティールの違いは? 速水健朗『イーロン・マスク』評

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ジョブズとマスクの違い

参考:千葉雅也 × 速水健朗が語る、テクノロジーと創作の共進化 「マルチウィンドウは再評価すべき」

 イーロン・マスクの評伝の著者であるウォルター・アイザックソンは、スティーブ・ジョブズの評伝作家でもある。もちろん、マスクが評伝著者として彼を指名した意図は明白だ。自分をジョブズに比する人物として見られたいという願望が透けている。とはいえ、アイザックソンは、両者を明確に書き分けている。

 アイザックソンはジョブズをカウンターカルチャーの薫陶を受けた革命者として見立てた。ジョブズの革命は、個人用のコンピューターをワンパッケージの製品に仕立てることから始まる。そして、アップル製品のデザインから流通まで、すべて完璧にコントロールすることも革命の続きとして描かれる。それらの根本にはビートルズやボブ・ディランら、文化における革命者たちから受けた薫陶があり、さらにテクノロジーと開拓者精神が結びついた西海岸、シリコンバレーの風土もジョブズの革命の一要素だ。アイザックソンは、ジョブズに同世代的な共感(ジョブズは1955年生まれ、52年生まれ)も抱いていただろう。だからこそ革命者としてジョブズを描いた。だがマスクに対しては、共感しづらいエイリアン的な距離感を抱きながら評伝を書いているように読める。

 イーロン・マスクを生み出す土壌、その世代特有の意識とは何か。マスクが薫陶を受けたのは、SF小説とコンピューターゲームだった。この2つに夢中になったおたく気質がマスクを形作り、さらに父親からの精神的な虐待が引き金になっている性格破綻者的な側面が加わってくる。これがアイザックソンの見立てである。

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 イーロン・マスクとスティーブ・ジョブズは、どこが同じでどこが違うか。90年代末を境に、テクノロジーと社会問題の関係が大きく変わったと考えるのは、作家のダグラス・ラシュコフだ。ラシュコフは「電気自動車を宇宙に打ち上げるIT系億万長者」(デジタル生存デジタル生存競争: 誰が生き残るのか』)とマスクを評し、彼の会社が社会問題をなんら解決することはないだろうと指摘する。シリコンバレーの起業家が生み出したテクノロジーが社会問題を解決する。これは、人々の罪や貧困がいつしか全部救済され、千年王国が始まるという終末論に影響された信仰だとラシュコフはいう。マスクはただのSFとゲームのおたくなのか、テクノロジーで社会問題を解決する起業家なのか、または根拠なくいつか地球から逃げ出すことを考えているだけのビリオネアなのか、おそらくどれも一部は正解なのだろう。とりあえず結論を急がずに、評伝を読み進めよう。

イーロン・マスクと『北の国から』

 イーロン・マスクの子ども時代を吉岡秀隆に脳内変換して読んでいた。マスクは1971年生まれ。『北の国から』の純の年齢設定は、1972年生まれ。ほぼ同じである。両者ともに小学生(純9歳、マスク8歳)のときに両親が離婚して、都市から引っ越して片親との生活が始まっている。純は東京を離れ、父親と妹と北海道の山間部で暮らす。イーロンは、南アフリカのヨハネスブルグから南に600キロ離れた海岸沿いの街に引っ越した。母親と弟との生活。2年後には、父親と暮らすことになった。

 どちらの話にもコンピューターとの出会いが描かれている。マスクは、地元のショッピングモールのパソコン売り場でコモドール VIC-20に出会い、それを自分の貯金で手に入れた。純は東京から来た少年が持っていたパソコンを見せつけられる。そして、少年のパソコン雑誌をこっそりと盗んでしまう。純は田舎で情報に取り残されていることに焦っていたし、機械や電気製品に関心が強かったのだ。

 少年時代のコンピューターとの出会い。とはいえ、当時の8ビットのパソコンでできることは限られていて、せいぜい単純なゲームができるといった程度。大人になってから出会っていたらすぐに飽きたはずだ。だが、子どもならではの好奇心でプログラミングなどに手を出し、夢中になる一部が、エンジニアやクリエイターの道を歩くことになっていく。それが、コンピューター普及の中心地であるアメリカ以外の国(つまり南アや日本)でも同時に起きていたといた。父親の元を離れ、父の像を乗り越えていく。それ以降の両者の人生はまるで別物だが15才くらいまでは、驚くほど重なっているのだ。

マスクの最初の成功は何だったか

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