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新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「猪木劇勝! 日本初のプロレスラー国会議員誕生」

アサ芸プラス

 1989年4月24日、共産圏初のプロレスラーとしてソビエト連邦の格闘家を東京ドームでデビューさせたアントニオ猪木は、さらに大きく踏み出す。

 猪木はソ連との交渉を通じて改めて国際交流の重要性を感じると同時に、民間の交流では限界があることを痛感。本格的に物事を進めるためには、政治の場に立たなければならないと思ったという。

 猪木が政治の道を志すのは不思議ではなかった。

 石炭商だった父・佐次郎は戦後、吉田茂に誘われて自由党結党に参加。政治家への転身を図り、横浜市会議員に立候補するも落選。衆院選立候補の準備中に志半ばで急逝した。

 プロレスの師匠・力道山も政財界と深い繫がりを持って日本にプロレスを定着させ、実業家としても成功し、引退後は政界進出を狙っていたと言われる。

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 そんな父、師匠の背中を見てきた猪木がプロレスの枠を飛び越えて、政治の世界に身を投じたのは必然と言っていいかもしれない。

 猪木の参院選出馬をスクープしたのは89年6月9日発行の東京スポーツ。

 その時、猪木は大晦日にモスクワでソ連初のプロレス興行を開催する根回しのために訪ソ中だったが、翌10日午前に帰国すると、成田空港のVIPルームにはテレビ各局のカメラ、新聞各社、通信社の記者とカメラマンが殺到する騒動になってしまった。

 ここでは前向きなコメントを出しながらも「結論は出ていない」とした猪木は、15日に行われた新日本プロレスの役員会で、参院選出馬を報告すると同時に新日本の代表取締役社長を辞任。新日本は猪木体制から坂口征二を新社長、長州力を現場責任者とする新体制に移行することになったのである。

 さらに同日午後には、全日空ホテルで6月12日に再婚したことを発表。これは選挙戦中のスキャンダルを回避するためだ。

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