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【追悼】『十二国記』や『薬屋のひとりごと』の先駆け 酒見賢一『後宮小説』が拓いた中華風エンタメ小説の世界

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 『陋巷に在り』『泣き虫弱虫諸葛孔明』といった、中国に題材を取った小説で知られる作家の酒見賢一が11月7日に死去した。ネットにはまだ59歳だったのかといった驚きや、『泣き虫弱虫諸葛孔明』とTVドラマが放送中の『パリピ孔明』との関係を類推する声がずらりと並んだ。わけてもデビュー作『後宮小説』が、後の『十二国記』や『彩雲国物語』、そしてこちらもTVアニメが放送中の『薬屋のひとりごと』にもたらした影響を問う声が多くあって、中華風のファンタジーやミステリで盛り上がる今の小説状況を、30年も前に拓いた作家として再注目が集まっている。

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 『後宮小説』は酒見賢一のデビュー作で、1989年に第1回日本ファンタジーノベル大賞を受賞して刊行され、第102回直木賞の候補にもなった。「腹上死であった、と記載されている」という驚きの書き出して始まる小説は、そうした死因による皇帝の崩御から始まり、次の皇帝即位に向けて新しい官女たちが集められることになって、その中にいた銀河という田舎育ちの少女が、居並ぶ候補者を退けて新皇帝の正妃の座を射止めるといったストーリーが綴られる。

 インパクトがあるのは書き出しだけで、あとはよくあるシンデレラストーリーかと思う人も多そうだが、驚くところはそこだけではなかった。『後宮小説』は舞台が中華帝国のようで、現実とはまったく違う架空のものだったのだ。「福英三十四年、現代の暦で観れば一六〇七年である」という2行目からすでに、架空の世界への導入が始まっているが、中国史に詳しくない人は、そのまま史実として読んでしまったかもしれない。

 振り返ると、『後宮小説』が発表された1989年当時、こうした架空の中華風帝国を舞台にした作品は他にあまり類例を見なかった。中国を題材にした作品なら、それこそ芥川龍之介の「杜子春」があり中島敦の「山月記」があり司馬遼太郎『項羽と劉邦』もあってと数え上げればきりがない。第104回直木賞で酒見の『墨攻』とともに候補作となった『天空の舟』の宮城谷昌光も、中国古代史をテーマにした作家として知られ始めていた。

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 そうした作家たちから、中国を題材にした小説は年配者が書くものといったイメージが浮かんで、同じような立ち位置にいた酒見も老大家と思われていたのかもしれない。59歳という享年に意外と思った人が多かった理由もそこにありそうだが、逆に言うならまだ20代の若さだったからこそ、そして応募した賞が歴史小説や時代小説を募るものではない、日本ファンタジー大賞だったからこそ、まったく架空の中華風帝国を、その歴史や風俗も含めて作り上げられたのかもしれない。

 結果、『後宮小説』は想像力の深さを買われて受賞を果たし、J・R・R・トールキンの『指輪物語』やミヒャエル・エンデの『はてしない物語』が浮かびがちなファンタジーへの認識を書き換え、日本ファンタジーノベル大賞を幻想もあればホラーもあり、思弁もあって実験もあるような独特の賞にしてしまった。恩田陸が『六番目の小夜子』を応募して最終選考に残り、デビューを果たして日本でも有数のエンターテインメント作家になったのも、ある意味で”なんでもあり”の空気を、『後宮小説』が作っていたからだろう。

 『後宮小説』が架空の中華風帝国を舞台にした作品だったことが、後に同じように中華風の文化や風俗を持った世界に浸らせながらも、歴史に縛られていない自由なストーリーを楽しめる作品を生むきっかけになったのか。そこは、後に続いた作家たちの中で『後宮小説』がどれくらい影響を与えているか、あるいは版元の方で中華風でもかまわないといった認識があったかにかかってくる。ただ、読者の側には『後宮小説』という準備があって、そこに紡がれたストーリーの圧倒的な面白さがあって、後に続く中華風の作品も楽しければそれで良いといった意識が醸成されていた。
 小野不由美の『十二国記』シリーズが来ても、雪乃紗衣『彩雲国物語』シリーズが来てもすんなりと受け入れられた。日向夏の『薬屋のひとりごと』シリーズでも、雪村花菜『紅霞後宮物語』シリーズでも、白川紺子『後宮の烏』シリーズでも、皇帝がいて後宮があって官女がいて宦官もいてといったシチュエーションを、所定のプラットフォームとして位置づけられた。その上に、薬学の知識で大活躍する少女なり、武官からアラサーで皇帝に嫁ぐ女性といった興味をそそる題材を乗せたストーリーを紡ぐことができた。

 『薬屋のひとりごと』は今、小野はるか『後宮の検屍女官』や甲斐田紫乃『旺華国後宮の薬師』といった後宮が舞台の医学・薬学ミステリといったジャンルの隆盛を生み、小説界を盛り上げている。『後宮小説』が拓いた可能性の道は、30余年を経て小説界に縦横無尽に広がって日々、面白い作品を生み出し続けている。だからこそ、そうした土壌の上で酒見には今一度、自由で奔放な筆による作品を送り出して欲しかった。

 『墨攻』以降の酒見は、孔子の弟子の顔回子淵を主人公にした『陋巷に在り』や、周王朝の政治家が主人公の『周公旦』、そして三国時代における大スターの諸葛孔明を描いた『泣き虫弱虫諸葛孔明』といった、実際の歴史に題材を取った作品を多く手がけるようになる。そのいずれにも、酒見ならではの登場人物への解釈があって深い興味を抱かせた。『パリピ孔明』に登場するポップな孔明像も、『泣き虫弱虫諸葛孔明』に描かれた表情豊かな人間・孔明を経たからこそ、目を背けられず面白がられているのかもしれない。

 そうした、史実の上ですら自在に走らせることができる筆が、どこまでも広がる想像力の上で発揮されたたらどうなっただろうか。中国関係に留まらず、ミリタリーSF『聖母の舞台』やヴィクトリア朝を舞台にした『語り手の事情』のように、インパクトを持った作品を発表し続け、直木賞に限らず日本SF大賞も吉川英治文学賞も総なめして日本のエンターテインメント作家の頂点に君臨していただろうか。考えてしまう。

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