全日程を終了した2023年のプロ野球。オフシーズンに突入し、すでに各球団で契約更改がスタートしている。近年の契約更改では大きな問題もほとんどなくなったが、かつては球団側の提示額に納得できず、記者会見で怒りを露わにする選手も珍しくなかった。ここでは、契約更改で不満を見せた歴代選手を紹介したい。
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福留孝介
出身:鹿児島県
投打:右投左打
身長/体重:182cm/90kg
生年月日:1977年4月26日
ドラフト:1998年ドラフト1位
日米で実績を残した福留孝介は、契約更改後の会見で怒りを前面に出したことが話題になった。
PL学園時代に高校生離れした打撃を披露し、近鉄バファローズからドラフト1位指名を受けるも入団拒否。日本生命を経て中日ドラゴンズに入団すると、入団4年目となる2002年に打率.343で首位打者を獲得。
その後も中日の主軸打者として活躍を続け、リーグ優勝を果たした2006年は打率.351・31本塁打・104打点と圧巻の数字を残した。
シーズンMVPを獲得したこともあり、大幅昇給が見込まれていたが、球団からの提示額には納得いかず保留。「誠意は言葉ではなく金額」という言葉を残したほどだ。
なお、最終的には最初の提示額からは微増で決着している。
森本学
出身:大阪府
投打:右投右打
身長/体重:175cm/78kg
生年月日:1978年1月6日
ドラフト:2002年ドラフト6巡目
控え選手に対する評価の見直しを求め、保留を選択したのが福岡ソフトバンクホークスの森本学だ。
森本は大阪桐蔭で持ち前のユーティリティぶりを発揮。卒業後は福井工業大に進学すると、リーグ戦では首位打者も獲得した。
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その後、社会人野球のシダックスでプレーを続け、2003年にダイエー(現:ソフトバンク)に入団。
入団後しばらくは控え、あるいは守備固めといった起用が多かったものの、2009年は松田宣浩の故障もあってキャリアハイの95試合に出場。
だが、球団からの提示額は自らの希望額には届かず。「レギュラーだけで試合をやってみてください」と主張した。改めて、控え選手の大切さを認識する一件だったと言えるだろう。
井端弘和
出身:神奈川県
投打:右投右打
身長/体重:173cm/73kg
生年月日:1975年5月12日
ドラフト:1997年ドラフト5位
福留孝介と同様に、中日ドラゴンズで保留を選択した選手に井端弘和がいる。
井端は堀越高から亜細亜大に入学し、3年秋にリーグ戦優勝を経験。ひざの半月板を損傷する負傷も乗り越え、中日への入団を果たした。
プロ4年目にレギュラーを獲得すると、球界髄一の遊撃守備とつなぎの役割を全う。打撃面も年々向上し、2005年は全146試合に出場し、打率.323のハイアベレージを残した。
大幅な昇給が期待された一方、同年オフに提示された年俸額は、井端の想定額に到底及ばず。「金額を見た瞬間に足がガクガクになりました」とショックを露わにした。
この事態を球団側も重く見たのか、前回の提示額を大きく超える金額で更改。最終的には大幅昇給を勝ち取ったシーズンオフだった。
中村紀洋
出身:大阪府
出身:大阪府
投打:右投右打
身長/体重:180cm/93kg
生年月日:1973年7月24日
ドラフト:1991年ドラフト4位
日本球界屈指のスラッガーとして、NPB通算404本塁打を放った中村紀洋。中村もまた、契約更改で球団と闘った選手だった。
渋谷高ではエース兼4番打者を務め、チームを甲子園に導く活躍。高校通算35本塁打の実績を引っ提げて近鉄バファローズに入団した。
1995年から徐々に頭角を現し始め、2桁本塁打の常連となった中村。2001年には打率.320・46本塁打・132打点と持ち前の打棒を爆発させた。
その後、メジャー挑戦を経てオリックス・バファローズに復帰するも、けがの影響もあり不振に終わる。球団側は減額制限を大きく超える金額を提示したが、中村は公傷を主張し平行線に。6度の交渉も実らず退団となった。
一時は所属先なしの事態となる可能性もあったが、入団テストを経て中日ドラゴンズに入団。日本シリーズのMVPを獲得し、同年オフの契約更改で超大幅アップを勝ち取るなど、まさに激動の1年だったことは想像に難くない。
関本賢太郎
出身:奈良県
投打:右投右打
身長/体重:186cm/96kg
生年月日:1978年8月26日
ドラフト:1996年ドラフト2位
まさかの理由で保留を選択した選手が、阪神タイガース一筋でプレーした関本賢太郎(健太郎)である。
天理高では3年時に甲子園出場も果たし、高校通算20本塁打を記録。ドラフト2位という高い評価を受け、阪神に入団した。