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まさかの“翻意”! 現役引退を撤回した歴代選手6人。プロ野球生活を継続した選手たち

ベースボールチャンネル

今季も長らく球界で活躍を続けた選手たちが、現役生活の幕を下ろした。誰しも第一線を退く決断をするときは来るが、これまでには一度は現役引退を公表したが、翻意する選手もいた。ここでは、現役引退を撤回した経験のある選手を紹介する。

 

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新庄剛志


出身:福岡県
投打:右投右打
身長/体重:181cm/76kg
生年月日:1972年1月28日
ドラフト:1989年ドラフト5位
 
 現役時代から球界を賑わせた選手が、北海道日本ハムファイターズの監督を務めている新庄剛志だ。
 
 新庄は西日本短大附属高校に入学すると、高校最後の夏に福岡県大会決勝戦でサイクルヒットを達成。甲子園には縁がなかったが、守備力の高さも評価されて阪神タイガースに入団した。
 

 
 1992年から外野のポジションを掴み取ると、パンチ力のある打撃も披露しつつ活躍。ところが一転、1995年オフに「野球に対するセンスと能力がない」との発言で現役引退を示唆。
 
 しかし、わずか2日後にこの引退宣言は撤回され、2000年オフにはメジャー挑戦のため海を渡った。
 
 2004年からは日本ハムの一員となった新庄。現役最終年に日本一を達成し、まさに最高の形でユニフォームを脱いだ男だった。

杉浦享


出身:愛知県
投打:左投左打
身長/体重:177cm/94kg
生年月日:1952年6月8日
ドラフト:1970年ドラフト10位
 
 ヤクルトスワローズで23年間にわたってプレーした杉浦享も、現役引退を撤回した選手の一人だ。
 
 杉浦は、愛知高校で4番打者としてその打棒を発揮。将来性を見込んだヤクルトスワローズからドラフト10位で指名を受けた。
 

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 なかなか一軍で結果を残せない時期が続いたが、1977年から打撃が向上。翌年からレギュラーに定着すると、安定したバッティングでチームに貢献した。
 
 1985年には不動の4番に座り、打率.314・34本塁打を放ちベストナインに選出される活躍を見せた。
 
 1989年以降は広沢克己ら若手の台頭により、スタメン出場の機会が減少。それでも代打の切り札として活躍を続け、40歳を迎えた1992年限りでの引退を決断する。
 
 しかし、同年の日本シリーズ第7戦、勝てば日本一が決まる試合での満塁のチャンスに凡退。結果的に敗退し、この打席の悔しさが消えなかった杉浦は引退を撤回。「翌年に日本一を経験して引退する」との言葉を見事に実現させ、1993年に現役生活の幕を下ろした。

タフィ・ローズ


出身:アメリカ合衆国
投打:左投左打
身長/体重:182cm/100kg
生年月日:1968年8月21日
 
 独特なフォームと桁外れのパワーで、ファンに強烈な印象を残した助っ人がタフィ・ローズだ。
 
 ヒューストン・アストロズ時代にメジャーデビューを飾ったローズ。1996年から近鉄バファローズの一員になると、入団初年度に打率.293・27本塁打という成績を残した。
 

 
 その後も数多くのアーチを描き、2001年には当時のシーズン記録に並ぶ55本塁打を記録。近鉄の優勝に大きく貢献した。ただ、2003年オフに契約がまとまらず、読売ジャイアンツへ移籍することに。
 
 巨人でも移籍1年目から45本塁打を放ち、両リーグでの本塁打王を獲得。見事な活躍を見せた一方、コーチ陣との衝突もあり2年で退団。2006年には現役引退の意向を示していた。
 
 ところが、入団テストを経てオリックス・バファローズに加入すると、2年連続で40発以上のアーチを描く暴れっぷり。40歳を迎えた2008年には40本塁打・118打点をマークし、打点王にも輝いた。
 
 外国人選手最多の通算464本塁打を放ったローズ。晩年までその打棒が衰えることはなかった。

川相昌弘


出身:岡山県
投打:右投右打
身長/体重:176cm/75kg
生年月日:1964年9月27日
ドラフト:1982年ドラフト4位
 
 犠打数の世界記録保持者である川相昌弘も、現役引退を撤回した経験のある1人だ。
 
 川相は岡山南高校からドラフト4位で読売ジャイアンツに入団。当初は守備固めでの起用が多く規定打席に到達することはなかったが、1989年に打撃面の小技を磨いたこともあり出場機会が増加。
 

 
 派手さはないものの、着実にランナーを進める職人技は後に「バントの達人」と呼ばれる代名詞に。1991年には自己最高となる66の犠打を成功させている。
 
 1994年に自身唯一となる打率3割を達成し、長きにわたって活躍した川相。2003年に現役引退を決断した際は、引退セレモニーも開催された。
 
 しかし、指導者のポストを巡って球団との折り合いが付かず、巨人を退団して現役を続行することに。その川相に手を差し伸べたのが、中日ドラゴンズだった。
 
 中日で3シーズンを過ごしたのち、2006年限りで現役生活に別れを告げた。

吉住晴斗


出身:山形県
投打:右投右打
身長/体重:185cm/85kg
生年月日:2000年3月12日
ドラフト:2017年ドラフト1位
 
 ドラフト1位で指名を受けたものの、最後まで一軍登板は果たせなかった吉住晴斗。それでも育成を経験しながら這い上がろうとした姿は、見る者の心を打った。
 
 鶴岡東高校出身の吉住。高校2年夏には甲子園での登板も果たし、スカウトの注目を集めると、外れ外れ外れ1位という指名ではあったものの、ドラフト1位で福岡ソフトバンクホークスに入団。
 

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