
“らしさ”や“っぽさ”といった接尾語に何の違和感も抱かないどころか、動いていない場面カットのルックひとつで誰の作品なのかを容易に判別できる作り手というのは決して多くない。というよりむしろ、ほとんどいないかもしれない。少なくとも現代において、ウェス・アンダーソン以外でそれが可能な作り手がいるだろうか。
参考:“ウェス・アンダーソン節”全開 中編作品『ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語』を解説
いまでこそすっかり“ウェスらしさ”なるものが確立し、それが存分に表出した作品ばかり発表しているとはいえ、よくよく考えてみれば『天才マックスの世界』や『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』の頃はその片鱗がかすかに見える程度に留まっており、おそらく一つの完成形にたどり着いたのは『グランド・ブダペスト・ホテル』であろう。実写でありながら作り物のような背景と、良い意味で定型的な動きを見せる人物。スタンダードサイズとシネマスコープとビスタサイズを混在させる変幻自在な画面がそれをさらに強調していく。
もっとも、そうした既存の実写映画の枠組みを突破する個性は、その2作前に手掛けた『ファンタスティック Mr.FOX』でストップモーションアニメを成し遂げたからこそできたものではないかと常々考えてしまう。少なくとも同作は、情緒など一切無視した早口な台詞の積み重ねとキャラクターの動きの激しさ、上下左右前後と縦横無尽に動き続けて90分未満で駆け抜ける怪作であり、10年以上経ちウェス・アンダーソンの名前がよりメジャーなものになった現在となっても覆ることのない“ウェスらしさ”に満ちたマスターピースであると断言できる。
その『ファンタスティック Mr.FOX』はロアルド・ダールの児童文学『父さんギツネバンザイ』を原作にしたものであり、それ以来14年ぶりにウェスがダール作品の映像化に挑んだのが、Netflixで配信がスタートした新作短編『ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語』だ。わずか40分ほど(アカデミー賞の規定では40分を超えると短編部門の選考から外れるので、極めてギリギリを攻めている)のこの作品は、レイフ・ファインズ演じるダールを第一の語りべとして、第二の語りべであるベネディクト・カンバーバッチ演じるヘンリー・シュガーという男が偶然見つけた、奇術を披露するベン・キングスレー演じるイムダッド・カーンの調査記録を読み、カーンが修行によって会得した透視能力を独学で習得してブラックジャックで大金を得るさまが描かれていく。
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際立つのはスタンダードサイズの画面のなかで繰り広げられる、人物とキャメラ、セットの関係性である。もとより映画は(端的に言ってしまえば)フィックスされたキャメラの前で人物なり被写体が活動して成り立ち、あるいはキャメラが動くことで形成される。ウェスの映画においても以前から前後左右の移動はおなじみのものであり、とりわけ人物を見せるための前後の移動、空間を見せるための左右の移動、あるいは『グランド・ブダペスト・ホテル』の銃撃シーンのようにアクションを見せるためのパン移動はまさにお手のものだ。
今回の作品においては相変わらず人物を見せるために前後の移動を繰り返すのだが、これまで以上にその奥行きが狭い。左右の移動は大きく3度訪れるが、語りべの転換のタイミングと、あとは時間経過を示すための目的でのみ用いられる。そのなかで(無論、編集によって転換する場面も見受けられるが)、最も柔軟に動きを見せるのは『ムーンライズ・キングダム』以降のウェス作品を手掛けてきたアダム・ストックハウゼンによる美術セットであり、いわゆる“黒子”の存在をあえて映しながら、その変遷過程を見せることによって作品のリズムが構築されていく。
まるで舞台演劇を映像を介して見せられているような(といっても、いまは舞台収録映画ですらもっと映像っぽく見せるというのに)奇妙な光景。そこに注力されてキャメラと人物は定型的な動きしか見せないのかと思ったタイミングで訪れる、頭を包帯でぐるぐる巻きにされたイムダッド・カーンを追いかける病院の廊下の一連。外に出ると待ち構える子どもたちの書き割りの背景が左右にはけていき、自転車を中心とした実存へとシフトし、両手を上げて手前に向かって動いてくるカーンと左に逃げるカメラ。すると右へ戻ったカメラがデヴ・パテルとリチャード・アイオアディに近付く。ここに完璧な“ウェスらしさ”と相対する人間くささがあり、パターン化された空間を脱するという不思議な感動を生むのである。
さて、この『ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語』を皮切りに、Netflixでは4日連続でウェスによるダール原作の短編映画が立て続けに配信されていくわけだが、2本目の『白鳥』がまた『ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語』を上回る完成度である。より巧妙な語りべの移行、原作に忠実でありながら器用に削ぎ落とした脚色。同じく舞台的でありつつも奥行きのある画面と、線路上で横たわったルパート・フレンドの上を駆け抜ける風。3本目の『ねずみ捕りの男』も人物の対話に切り返しとパントマイムが小気味よく機能し、9月30日に配信がスタートする4本目の『毒』にも期待感が高まる。いっそこのまま、ダール作品を次々と映像化して、『動物と話のできる少年』を“ウェスらしさ”全開で描き切ってもらいたいものだ。
(文=久保田和馬)