ダンス&ボーカルグループ「TRF」のDJ KOOが9月14日、「グローバル ゴールド セプテンバー キャンペーン」のタイミングで、世田谷区の国立成育医療研究センター内にある都立光明学園「そよ風分教室」の子どもたちにオンライン出張授業を行った。

「グローバル ゴールド セプテンバー キャンペーン」とは、毎年9月に開催される世界的な小児がんの啓発キャンペーン。小児がんの啓発カラーである「ゴールド」のライトアップやリボンを掲げ、小児がんに関するさまざまな啓発活動が行われる。
長期入院中の子どもたちが学習する「そよ風分教室」には小児がんの子どもたちも多い。今年の啓発テーマが「復学支援」であることから、アーティストやクリエーターが自身の体験談を通じ、子どもたちに「才能や夢を信じる力」の大切さを伝える「avex class」の授業が実現した。
チャリティーライブ「LIVE EMPOWER CHILDREN」に出演するなど、小児がんの啓発活動にも力を入れてきたDJ KOO。画面の前の子どもたちの緊張をほぐすように「実は今日、10分くらい歩いてこの会場にきたんですけど、道路で転んじゃったんです!」とひざに張った絆創膏を見せ、「痛くて恥ずかしかったけど、周りにいた人たちが “KOOさん、大丈夫ですか?” って手を差し伸べてくれてうれしかった。今日はそんな気持ちでみんなとお話ししたいと思います」と優しく語りかけた。

冒頭はDJ KOOのこれまでの歩みを紹介。3歳の頃のモノクロ写真を披露し「この写真は加工したわけではなく、リアルなモノクロフィルムです。怪獣映画が大好きで、将来の夢はゴジラになることだった。高校時代はラグビー部に所属して当時は高校生活のほとんどがラグビーだった」と語り「その時は分からなかったけど、ラグビー部の厳しい3年間を頑張ってきたからこそ今のDJ KOOがある」と胸を張った。
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DJを目指したきっかけは「もともとはギターが好きでギタリストになりたかったけど、高校3年生の時にコンテストやオーディションに出場して全部だめだった」と言い「ギタリストの夢を諦めたからこそDJに巡り合った。DJを始めてからもう43年目です」と意外な過去を明かした。
その後、「TRF」を結成して32歳でCDデビュー。「僕の人生の中で見た目では一番イけてた時。この髪型はドレッドヘアというんですけど、当時はやってくれる人がいなくて1回25万円かかってました」というと子どもたちは「えーっ!」と目を丸くする。アーティストになってよかったことを「MVを撮影するために世界中に行けたこと。日本とは人も文化も違うので、機会があったら海外でいろんな景色を見るとすごく思い出に残ると思います」と振り返った。
子どもたちにDJの仕事で大変なことや乗り越え方を聞かれると「僕は好きなことをやっているので、大変だと思うことは失礼だなというのが基本にある」としながらも「DJの仕事って安定してないんですよ。全然食べられなくて、いろんなアルバイトをしながら “DJの仕事は続けられないのかな” と思った時に、奥さんが “あなたの好きなようにやりなさい” と言ってくれた。身近な人の言葉にすごく救われました」とアドバイス。

さらに57歳の時、バラエティー番組の企画で脳動脈瘤が見つかった心境を「それまで “その日が元気だったらいいぜ” と思っていた僕が “1週間先にこの世からいなくなってるかもしれない” と思ったら、体が宙に浮いているようでどうしていいか分からなかった」と吐露。執刀医の「私にやらせてもらえたら、DJ KOOさんとご家族の人生を元に戻します」という言葉に手術を決断、見事に成功して仕事にも復帰した。
「その時にも “もうDJできないのかな、音楽できないのかな” と不安だったけど、家族や医療関係者、たくさんのファンの方々の声に励まされました」とDJ KOO。「そこからは “いただいた命なんだからいろんな方に恩返ししていこう” と、とにかくみんなに僕を見て元気になってもらえるような活動をしようと今のDJ KOOが始まりました」と力強く宣言。
最後に子どもたちに「生きていればうれしいことも大変なこともありますが、思い通りにいかない時は決して無理せず立ち止まってもいい。皆さんも “もう疲れちゃった” “まだ頑張らなきゃいけないの?” と思ったら、家族やお友達、周りの大人の人にどんどん伝えてください。周りの人と比べないでマイペースに、気持ちを穏やかにしていきましょう。今日僕は転んでしまったけど、そういう時に声をかけられる人でありたいなと思っています」と呼びかけた。