
「自然の力は人よりも大きい。人はそれを封じ込むことはできん」
参考:『らんまん』とは“つながり=縁”の物語だ 神木隆之介を中心に開花する新たな人間関係
『らんまん』(NHK総合)第2週で聞いた池田蘭光(寺脇康文)の台詞を、まさか最終回直前で実感することになるとは思わなかった。図鑑の完成を間近に控えていた万太郎(神木隆之介)を悲劇が襲う。今から100年前、大正12年9月1日に発生した関東大震災だ。
大きな揺れに加えて、様々な条件が重なったことで同時多発的に発生した火災が広がり、死者・行方不明者数推定10万人以上の甚大な被害をもたらしたこの地震。万太郎もまた、多くのものを失うことになった。
晴れの日も雨の日も、全国を渡り歩きながら集めた標本、寝る間も惜しんで書き溜めた原稿、大切な家族や友人と笑い合った長屋。“人生そのもの”とも言えるそれらを一瞬にして奪われた万太郎の苦しみは計り知れない。しかも、奪ったのが自然の力というのも皮肉だ。自然は万太郎が愛する植物のみならず、人間にも豊かな恵みをもたらす一方で時に牙を剥く。そのことを60代に突入し、ようやく安寧の日々を手に入れかけた万太郎に忠実よりも強く実感させる脚本の容赦なさに戦慄した。
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戦争や災害、疫病など、個々人の力では防ぎようのない出来事でそれまでの日常が一変し、自分にとって大事なものが奪われることは人生を否定されるのに近しい。だが、これまでも朝ドラはあえてこの否定を行うことで、その先にある教訓や希望を提示してきた。
例えば、『おちょやん』(NHK総合)では、ヒロインの千代(杉咲花)が所属していた劇団が戦況悪化で採算が取れず解散。それ以前から警察の検閲で表現の自由が奪われたり、劇団の活動場所である道頓堀の芝居小屋が続々閉鎖になったりと、着実に戦争が千代たちの日常を蝕んでいく過程が描かれた。
『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)の初代ヒロイン・安子(上白石萌音)が戦争で失ったのは大事な家族だ。夫の稔(松村北斗)は戦地で亡き人となり、母と祖母は空襲の最中に防空壕で手榴弾に焼かれて命を落とした。さらには稔との出会いの場でもあった実家の和菓子屋も空襲で焼かれてしまう。安子の父・金太(甲本雅裕)が焦土と化した街で泣き叫ぶ姿が忘れられない。
千代が魅せられた喜劇、安子を育てた和菓子は、万太郎にとっての草花である。万太郎が「みんなに花を愛でる思いがあれば、人の世に争いは起こらんき」と言っていたように、いわば平和の象徴。喜劇を観て笑ったり、みんなで和菓子を食べたり、花を愛でたり。世界が平和であれば、誰かに否定されることもなければ、後ろめたさを感じることもない。だが、戦争などの緊急時には途端に“不要不急”のものとされ、人々の手から奪われる。それらを大事にしている人からすれば、自分自身を否定されたようなものだ。
だけど、千代たちが焼け野原で披露した芝居が戦争で夫と義理の両親を亡くした親友・みつえ(東野絢香)の笑顔を取り戻したように、金太が闇市で売り始めたおはぎが安子や、おはぎをくすねようとした少年の生きる糧となったように、一見すると無駄に思えるものこそが人間の糧になっていることを教えてくれた。『おちょやん』と『カムカムエヴリバディ』が放送されていたのはコロナ禍の真っ只中で、色々なことが不要不急とされていた時期。だからこそ、物語から伝わる“こんな時だからこそ”というメッセージがより胸に響いた。
一方で、主人公の裕一(窪田正孝)を間接的な戦争の加害者として描いたのが『エール』(NHK総合)だ。第二次世界大戦下に「露営の歌」「暁に祈る」などの戦時歌謡をヒットさせ、作曲家として名を挙げた裕一。戦地慰問を命じられ、ビルマに旅立った彼はそこで多くの若者や恩師である藤堂(森山直太朗)の死を目の当たりにする。その凄惨な戦争描写に思わず目を背けたくなってしまった人も多いのではないだろうか。裕一もまたそこで初めて、自分の愛する音楽で人々を戦争へと扇動し、図らずも多くの人を死に至らしめてしまったことを自覚することとなった。