top_line

【クイズ】12月7日は「クリスマスツリーの日」。
日本にクリスマスツリーが登場したのは何時代でしょう?

「『電波少年』懸賞生活は一種の洗脳。自殺も考えるほど苦悩」なすび激白、イギリスで半生が映画化の今とは

女子SPA!

1990年代に多大なる人気を博したバラエティ番組『進ぬ!電波少年』(日本テレビ)。その中でも特に強いインパクトを残した企画の一つに「電波少年的懸賞生活」が挙げられます。

「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに企画に挑んだのは、俳優・タレントのなすびさん。

彼の半生を追ったイギリス製作のドキュメンタリー映画『ザ・コンテスタント(原題) / The Contestant』が、現地時間の9月8日に、第48回トロント国際映画祭でワールドプレミア上映が行われました。

15か月にわたり監禁状態で懸賞生活をおくったなすびさんの生き様に、映画を見た現地の人々は強い衝撃を受けたようです。

かつて日本でも一世を風靡した「電波少年的懸賞生活」。なすびさん当人は、当時何を思っていたのか。今回の映画化オファーをどんな気持ちで引き受けたのか。詳しく話を聞かせてもらいました。

10年前にオファー、一度とんざするも監督の情熱で映画化実現

――「電波少年的懸賞生活」から25年。自分を題材にしたドキュメンタリー映画が製作されることになった時の感想を聞かせてください。

「実はこれまでにも海外メディアからは年に一回くらいのペースでインタビューや取材のオファーがあったんです。新聞、テレビ、ラジオ、雑誌には出たことがあったので、今回もその一環という感覚でしたね。まさかこんな規模感の話になるとは思いませんでした」

――映画以前からも海外ではすでに注目される存在だったのですね。

「どうやら過去映像がネット世界に散らばってるらしいです(笑)」

――映画のオファーはいつ頃来たのでしょうか。

「約10年前です。ディレクターのクレア・ティトリー(Clair Titley)さんからSNSのDMに直接オファーが来て、とても情熱のある方だったので受けることにしました。

ただ、スポンサーやプロデューサーを探すのに難航して、一度この企画は頓挫(とんざ)したんです。それでも数年後に『どうしても諦められない』と再度オファーをくださったんですよ」

――それは凄い。なすびさんへの強い思い入れを感じます。

「僕もまだそんなにも想いを秘めてくださったのかとありがたく思って、2018年に旅行も交えてテストフィルムを撮るために渡英したんです。そこで撮ったインタビュー映像を面白いといってくれる制作会社が現れて、映画化が実現されました」

海外の反応は「これは犯罪だ」「訴えた方がいい」

――今こうして海外からの反響を受けて、当時を振り返って改めて思うことは?

「『電波少年的懸賞生活』って今でいうとリアリティーショーやYouTubeの走りなんですよね。掘り下げていくと、あの番組は現在では身近な企画のパイオニアだったんだと思います。

海外との大きな違いとしては、あれは日本ではあくまでもバラエティ番組。面白おかしいものとして受け入れられていた。でも、予備知識のない海外の方からすると、かなりネガティブな意味での衝撃映像だったみたいです」

――お笑いとしては捉(とら)えられていない?

「もの凄く真剣に見てますね。『こんな過酷なことを強いるなんて信じられない』『テレビで放送しちゃいけないもの』『拉致、隔離、これは犯罪だ』なんて言われてますよ。

過去に取材をしてくれた海外メディアも、だいたいが『テレビ局を訴えた方がいい』という切り口なんです。人権侵害だ、と。海外の人たちにとっては相当なカルチャーショックだったみたいですね」



本人は自殺も考えるほど苦悩していた「懸賞生活」は一種の洗脳

――今の日本のテレビでも、当時と同じことができるかというと難しいのではないかと思います。

「あそこまでコンプライアンスを無視したものは、もうできないでしょうね。今だと日本でも海外と同じ反応は出てくると思いますよ。当時もあったのかもしれませんが、SNSが発達していないのもあって小さな声は無視される時代だったんですよ」

――「懸賞生活」をしていた時のことは覚えていますか?

「鮮明には覚えていないんです。なぜかというと、僕にとっては辛い記憶だから。なるべく忘れよう、消し去ろうという意識が働いてるんですよね。

あの経験を美化することは難しいのですが、考えないようにすることで先に進めているのだと思います。たぶん、視聴者さんの方が僕が何をしていたかをよく覚えてるんじゃないですかね」

――やらせ疑惑も一時期は取りざたされていましたが、あれは本当にありのままの出来事が映し出されていたのでしょうか?

「本気のガチンコです。本当に放送されていることも知りませんでした。僕からすれば命を削って精神も削って、自殺も考えるほど苦悩していたことが、見ている人からは『楽しそう』と思われていたことも信じられない。

効果音やナレーション、テロップでうまいことポップに編集して、視聴者には楽しそうに見せている。あれは一種の洗脳ですよ」

「懸賞生活」は完全に十字架。終了後も恐怖や人間不信にも

――そこまでのレベルで辛い企画だったことを私も今知りました。

「やってることはほぼ拷問(ごうもん)でしょ。スタッフがあの生活を強いて、一人の人間を貶(おとし)めることができるという恐怖を終わった後も感じました。

視聴者から『またやってください』って言われることも怖かった。『あれを笑って見てたの?』『まだ見たいと思うの?』って、正直かなり人間不信にもなりましたね」

――後遺症ともいえるその時期を、どんなふうに乗り越えていったのですか?

「蓋(ふた)をしていくことで徐々にリハビリをしていった感じです。でも今も、完全にその時のことを無しにして生きているわけじゃないですよ。

25年経っても『今日は服を着てるんですね』なんて言われるってことは『懸賞生活』は完全に十字架で、すべて払拭できているとは言えない。もしかしたら『懸賞生活のなすび』という目で見る人が少なくなれば、克服したと言えるのかもしれません」



渥美清に憧れ。芸人から俳優に転換したい時期にオーディションが

――現在は俳優としての活動が多いそうですね。

「主に舞台を中心とした俳優活動をしています。10月5日から舞台『フラガール’23』にも出演予定なんですよ」

――懸賞生活の頃の肩書きはお笑い芸人でしたよね?

「実をいうと、僕はもともと俳優志望なんです。『男はつらいよ』の渥美清さんが大好きで、芸人というよりも演技で笑わせる喜劇俳優になりたかったんですよ」

――なぜお笑い芸人の道を選んだのでしょうか。

「大学に通いながら地道に俳優活動をしていたのですが、あまりうまくはいかなかったんです。そんな時に渥美清さんがストリップ劇場の幕間で芸を磨いていたことを知っていたので、とりあえずコンビを組んでみて芸人活動を始めてみました。

コンビ自体は1年くらいで解散したんですけど、そのタイミングで懸賞生活のオーディションがあって受かってしまったわけです」

――つまり「懸賞生活」は、芸人から俳優に転換したかったけど、できていなかった時期の出来事だったわけですね。

「はい。そのまま懸賞生活で1年3か月が過ぎて紆余曲折(うよきょくせつ)あって、自分が本当にやりたいことを見出してカタチにしようと考えるようになりました。

演劇ユニットを組んで、自分で本を書いて演出をし始めたのが2002年頃。そこから舞台活動にシフトしていって、現在は別の劇団にも所属しています」

本人が死んでから作られるものだと思うんですけどね…

――バラエティ番組で姿を見かけることがなくなったのは、そういった経緯もあったのですね。

「テレビで見なくなったことで忘れ去られた存在になってはいますが、今は舞台で自分のやりたいことができているし、ドラマにもちょこちょこ出してもらってます」

――ドキュメンタリー映画が公開されたことで、日本での注目度が再び高まっていきそうな気配を感じます。

「でも一つ言わせてもらうと、ああいう映画って本人が死んでから作られるものだと思うんですけどね……まだ生きてるよ!(笑)」

【なすび】

俳優・タレント 福島県出身

なすびTwitter(現X):@hamatsutomoaki

なすびInstagram:@nasubi8848

<文・インタビュー写真/もちづき千代子>

【もちづき千代子】
フリーライター。日大芸術学部放送学科卒業後、映像エディター・メーカー広報・WEBサイト編集長を経て、2015年よりフリーライターとして活動を開始。度を超したぽっちゃり体型がチャームポイント。Twitter:@kyan__tama



 
   

ランキング(エンタメ)

ジャンル