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実は秀吉が仲介だった!?お市の方と柴田勝家が結婚した理由【どうする家康】

Japaaan

『どうする家康』30話「新たなる覇者」では、柴田勝家と共に北ノ庄城で自害したお市の方が印象的でしたよね。また、中にはあまり接点のなかった柴田勝家とどういった経緯で結婚したのか気になった方もいるかと思います。

そこで、今回はお市の方と柴田勝家が結婚した経緯や夫婦仲について紹介します。

きっかけは秀吉

お市の方と勝家の結婚したきっかけは羽柴秀吉にありました。経緯として、天正10年(1582)の山崎の戦い後に開かれた清須会議で、秀吉は織田信長の孫・三法師を擁立したことで、秀吉の権限が強くなりました。

そこで不満を表した勝家を抑える目的で、秀吉自らが2人の仲介として動いたといわれています。また、「自らは織田家を乗っ取るつもりはない」との意思表示のために勝家にお市の方を嫁がせたとの指摘もあります。

要するに、共通の敵だった秀吉を打倒するために結婚したのではなく、勝家を黙らせるために秀吉自らが結婚させました。

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また、従来の説では信長の三男・織田信孝の仲介だったといわれていました。しかし、現在では上記の説が有力視されています。

意外!?勝家の初婚相手はお市の方だった

意外なことに勝家は、お市の方との結婚が初婚でした。そのため、約60歳まで独身だったということになります。このように指摘されているのは、勝家がお市の方と結婚するまで誰かと結婚したことが記載された史料がないからです。

ルイス・フロイスの書簡では「はなはだ勇猛な武将であり、一生を軍事に費やした人」との評価があることから、結婚願望がなかったのかもしれません。

2人の夫婦仲

実際のところ、2人の夫婦仲はどうだったのでしょうか?

2人は24歳の歳の差婚ではありましたが、仲睦まじい夫婦だったそうです。勝家はお市の方を好意に思っていたこともあり、お市の方だけでなく、浅井三姉妹も大事に扱いました。

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