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上岡龍太郎「誰も知らないオキテ破り伝説」」交遊編(3)どこやったら早く芸能界で売れる?

アサ芸プラス

 舌鋒鋭い口調で関西最後の大御所と恐れられた上岡だが、意外な素顔があった。コンビ時代に「超次元タイムボンバー」(テレビ朝日系)で前説を務めたピン芸人・やくみつゆ氏が明かす。

「番組はこれからゲームセンターに導入されるゲームで芸能人が戦うというバラエティー番組。ただ、頻繁にマシンに不具合が発生するんで、そのたびにお客さんの前に出て行って、ネタを披露していました。急に止まった時は上岡さんも控室に戻らず、1時間くらいネタをやったこともありました」

 ある日、音楽コントで「ドレミファソラシ、げ~」というボケをかましたところ、ダメ出しが飛んだ。

「上岡さんは『そのネタはおかしいよ。音楽業界にゲー(Gのドイツ語読み)はあるから』と怒られました。そしたら番組に出ていた加藤茶さんも『あるよ』って。僕らのネタでも真面目に指導してもらって、ありがたかったです」

 この共演を縁に上岡の独演会にも招待されたことが今では懐かしい思い出だという。

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 芸能界入りに際し、上岡は最初に浜村淳に弟子入りを志願し、断られたという有名な逸話が残っている。しかし、当時を知る芸能プロ関係者がこのエピソードの種明かしをする。

「実は、上岡さんは浜村さんの芸に憧れて弟子志願したのではなく、『どこやったら、いちばん早く芸能界で売れることができるか』と考えてのことだった。当時、渡辺プロに所属し、テレビやコンサートで引っ張りだこだった浜村さんのもとに入れば、すぐに人気者になれると思ったのでしょう。普通だったら“そんな芸に惚れたわけではない”とは言いませんが、そこは上岡龍太郎。『浜村淳程度であれば、僕ぐらいの力でも潰されずに、売れると思ったんですが‥‥』と、堂々とテレビでもしゃべってましたね」

 日頃「若い時の苦労は買ってでもしろと言いますが、それは違います。苦労なんか買わんでもどんどん向こうからやってきます」という上岡の名言が蘇るようだ。

 最後に植竹氏が引退後の上岡氏の晩年の様子について述懐する。

「年に数回はお電話でご挨拶をしていたんです。最近見たお芝居や映画などのお話をずっとされていて、現役時代と変わらないしゃべりと雰囲気がたまらなくよかった。だから一度だけ、ラジオで声だけでも出演してもらえませんか、とお願いしたのですが、『他のところもすべてお断りしているので、申し訳ない』と一貫して表舞台には出演されなかった。また、亡くなってから人づてに聞くと、体調を崩されていた時期もあったそうですが、僕にはそんなことは一切言わなかった。弱いところを絶対に見せませんでしたね。最後にお話をしたのは、まだコロナが猛威を振るっている頃『どこにも観劇に行けず、何もやってませんよ』みたいな、いつもと変わらない会話が最後になってしまいました。本当に残念です」

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