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『らんまん』長田育恵の手腕が凝縮された第10週 時代と伴走する朝ドラだから描けるもの

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『らんまん』写真提供=NHK

 「もう少しゆっくり走れませんか」と寿恵子(浜辺美波)は、荒々しく走る馬車に問う。その馬車が邪魔だと思うのは、道端で花を愛でている万太郎(神木隆之介)である(『らんまん』(NHK総合)第50話より)。

参考:『らんまん』伊礼彼方が明かす“ヤバ藤”反響の喜びと役作り 「初めて本当の恋をした設定に」

 寿恵子は洋装で西洋のダンスを習い、男性の目をまっすぐ見て対等に踊ることを覚える。一方、万太郎は植物学の雑誌を出版するために印刷技術を学んだことで、消えていった旧式の印刷技術があることを知る。

 江戸から明治になって、時代が馬車のように急速に進んでいくなかで、その流れに乗れず、取りこぼされて、記録に残らないまま消えてしまうものもある。寿恵子が高藤(伊礼彼方)の妻・弥江(梅舟惟永)に話しかけると、お付きの者に「世が世ならあなたが勝手に話しかけるなど」と叱られるように、身分制度があった江戸時代だったら妾候補の寿恵子は高藤夫人に話しかけることなど許されなかった。そんな身分制度が消えてよかったこともあるし、それまでそれを拠り所にしていた人の困惑もあるだろう。だからこそ、人々を蹴散らしていく馬車に「もっとゆっくり走れませんか」と寿恵子は問うのだろう。

 ところが高藤の秘書の鹿島(金剛地武志)は「これでも十分にゆっくり走っておりますよ」と返し、しかも、道端にしゃがんでいる万太郎を「この国の恥」とばかにする。やがて万太郎はこの国で遅れていた植物学の発達に寄与する、ある種の時代の先端を行く者になるわけだが、それと同時に、寿恵子の求める「ゆっくり走る」象徴でもある。万太郎が、道端に咲く、名もない植物の特性に着目し、名前をつけ、その特徴をひとつひとつ、正しく記録として残していこうとする行為は、未知の学問であると同時に、急いで時代の急流に乗っていくにあたって軽んじられ、忘れられそうなものを、決してとりこぼさない行為でもある。

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 だが、そんな万太郎も、自分の理想を貫くために自ら石版印刷をやろうとすることで、専門職人・岩下(河井克夫)の仕事を奪うことになることをいったいどう考えているのか。

 奪われる側の岩下もまた、自分が万太郎と同じであると認識する。かつて歌川国芳の錦絵を大勢の職人が印刷していたが、石版印刷の発明によって、その必要がなくなってしまったことを振り返り、「あたしもこの手でかつてのあたしらを殺してる」と言う。この認識はとても重要である。

 そう、誰もが他者から奪いたくないと思っても、ひとつも奪ったことのない者なんてたぶん、いない。その最たる例が「食」である。生きるために食べている限り、必ず他の生命を奪っている。それを命を頂いていると、折り合いをつけて生きていて、朝ドラでは『ごちそうさん』(2013年度後期)でそれをテーマにしていた。『らんまん』では、また違ったモチーフで、奪うことを託すことに転換する考えを説く。

「磨きぬかれたもんはけっしてのうならん。新しい場所に合う形で変化しもっと強うなって生き抜いていく。それは生きちゅうもんらのことわりですき」という万太郎の達観は、植物の生態から学んだものである。

 時代の変化を嘆かず、前を向くこと。こういうメッセージ性のあるセリフはともすれば形骸的になりかねないが、『らんまん』には上滑り感がなく、実が備わって聞こえる。かつて錦絵を共に作った人たちの姿が見えてくるようだからだ。それがこのセリフの背後をしっかり支えている。

 石版印刷のやり方、錦絵の刷り方の滔々とした説明は、すぐには意味が理解できないものの、それだけの手間暇と汗水が要されていることは、そのセリフの分量で十分伝わってくる。だからこそ「かつて腕を競うた、技を誇った方々がその場所から散っていったとしても 新たな場所に根付いて、そして芽吹いていくのじゃと思います」というセリフが胸に強く響く。

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