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『クリード 過去の逆襲』がとった前作とは真逆のアプローチ 現実と地続きの問題も

Real Sound

 クリード家に引き取られた後、アドニスは路上で偶然に自分を虐待していた男と出会い、思わず殴りかかってしまって乱闘となる。助けようとして、そこで所持していた拳銃を構えたデイムだったが、ちょうど悪いタイミングで警察が到着してしまうのだった。まだ10代だったアドニスは迫り来る事態の大きさに怯え、助けようとしてくれたデイムを置いて、一人でその場から逃げ出してしまう。

 それから18年もの時が経ち、時間軸は前作の後の時代へと移る。ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンに輝き、富と名誉を手にしたアドニスは、タイトルを防衛したまま理想的な引退の花道を飾り、いまではロッキーが自分にしてくれたように、後続の若い選手の育成に励んでいた。

 そんな日々のなかでアドニスは、いままでずっと服役し、ようやく出所したデイムとの再会を果たすこととなる。同じ施設で育ちながら、かたや世界中で尊敬されて豪華な住まいに住み、ゴールドディスクを獲得しているアーティストであり音楽プロデューサーのビアンカ(テッサ・トンプソン)や聡明な娘との、温かな家庭を築くまでになった男。かたや刑務所で服役を続け、いつかボクサーになるために体を鍛え続けることしかできなかった男……。もしアドニスが子ども時代、あの運命を分けた日に逃げ出していなければ、ここまでの落差は生じていなかったかもしれないのである。

 対照的な日々を送ってきた二人は、表面上は和やかに食事をしながら、久々に顔を突き合わせて会話をするが、その場には絶えずおそろしいまでの緊張感が張りつめている。また、アドニスは不穏な気配を感じながらも、過去の負い目からボクシングジムへの選手としての所属を受け入れ、自分の家族にも紹介したり、パーティーにも招くことになる。二人が同時に画面の中に映し出される度に、何が起こってもおかしくないという不安感が観客に伝播していく。これらのシーンにおけるマイケル・B・ジョーダンとジョナサン・メジャースの演技は、まさにそれ自体がすでに“対決”であり、見事な“ジャブ”の応酬を繰り出しているといえよう。

 ここで重要になってくるのが、やはりデイムというキャラクターの存在である。彼を演じているジョナサン・メジャースは、役と同様にカリフォルニアでケンカや万引きなど素行の悪い少年時代を送ってきている過去がある。その後、彼は演技という新たな自己表現の方法に出会い、類まれな才能を発揮するようになったのだという。そんなメジャースの過去が、今回の演技やキャラクターのイメージに活かされることで、ここに圧倒的なリアリティをみなぎらせる結果に至っているのかもしれない。

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 しかし、ここでどうしても考えざるを得ないのは、現在のメジャースの問題だ。本作がメジャースという俳優の、少年時代に悪事をはたらいていたという要素を一部投影するかたちで、人間ドラマにリアリティを与えてしまっている以上、いまのメジャースに倫理に反するおこないがあったことが明らかになれば、本作そのものの価値もまた揺らいでしまうことになりかねない。その意味では、危うい部分に懸念を持っていたスタローンの態度が、結局は正しかったということになってしまうのかもしれないのだ。

 あえて人間の心の闇を掘り返し、人間的成長と寛容の精神へと着地していく本作のドラマが、リアリティのある見事な出来であことは確かだ。しかし同時に、その魅力が現実と地続きにある以上、芸術や娯楽と、現実の社会状況との関係をあらためて考えざるを得ないシチュエーションを生んだということも確かなことなのではないだろうか。今回の件の真実はどうあれ、今後映画を楽しんでいくうえで、この種の問題はついてまわるものであり、それについて観客が考えるのは、無意味なことではないはずである。

 興味深いのは、この物語において、これまで存在感を発揮し、また作品への観客の興味を惹きつける要因となっていた、ロッキーの存在やアポロ・クリードの伝説というものの存在意義が、ほぼないと言っていいほど希薄になっているという、前作とは真逆のアプローチをとっている点である。

 それは、これまでアドニスという登場人物、そして『クリード』シリーズが本質的に持っていた、ある種の弱さを乗り越える試みではなかったのではないだろうか。アドニスとデイムは、最終的にリングで対決することになるが、デイムが「もう誰にも助けてもらえないぞ」とアドニスを挑発するように、これまでアドニスは、偉大な先人二人の指導と誇りによって支えられてきた部分が大きかった。アドニスは二人の存在があってこそ主人公たり得ていたといえるし、シリーズの観客の多くはアドニスという存在を通して『ロッキー』シリーズに思いを馳せていたはずなのだ。

 だが、今回アドニスが決着をつけようとしているのは、ロッキーと知り合う前であり、アポロが父親だと知る前から親交のある兄弟分との関係なのである。つまり本作の闘いに限り、初めてアドニスは純粋に自分自身の問題に、自分の力だけで取り組んでいるということになるのだ。それを乗り越えてこそ、彼は本当の強さと自立した立場を獲得することができる。

 『クリード』シリーズが、本質的な意味で二次創作物のような枠組みから抜け出して、ロッキーと肩を並べて比較できる存在になるためには、このようなプロセスが必要であり、最終作がこのような内容になることも必然だったといえる。つまりマイケル・B・ジョーダンが実現させようとしたのは、アドニス・クリードが自分自身の力だけで栄光を手にするプロセスを描くことであり、本作によって『クリード』シリーズをスピンオフの枠から逸脱させることだったはずなのである。

(文=小野寺系)

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