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日本ダービーで蘇った悲しき記憶 亡き管理馬が繋げたイグナイターのさきたま杯勝利

netkeiba.com

【大恵陽子=コラム『ちょっと馬ニアックな世界』】

 先週31日、浦和・さきたま杯JpnIIをイグナイターが制しました。昨年の地方競馬の年度代表馬で、JRA馬と戦うダートグレード競走はこれが3勝目。しかしながら、新子雅司調教師は「今回は怖かった……」と胸の内を明かします。

 そのきっかけは、日本ダービーのゴール直後、スキルヴィングが急性心不全で倒れたこと。8年前のJBCスプリントで同じ理由によって管理馬が倒れた悪夢と後悔が蘇ったといいます。大レースで勝つには究極の仕上げが時に求められます。

 そこで生きる人たちの「ちょっと馬ニアックな世界」を覗いてみましょう。

◆調教で反応の良さに「やりすぎたかも」とよぎった不安

 好位から直線でグイッと伸びると、スマイルウィ(船橋)をクビ差交わしてさきたま杯を勝ったイグナイター。地方競馬の年度代表馬にあたるNARグランプリ年度代表馬に昨年選ばれた園田・姫路競馬(兵庫県)に所属する馬です。

 地方馬がJRA馬と戦うダートグレード競走でのイグナイターの勝利は22年黒船賞、かきつばた記念に続き3勝目。管理する新子雅司調教師はレースをこう振り返ります。

「すぐ内の枠に入ったギシギシが逃げるだろうから、その後ろにつけられたらいいなと思っていました。その通りの位置取りになったし、笹川翼騎手が『このレース運びじゃないと勝てない』というような乗り方をしてくれました」

 大井の笹川騎手が乗るのは前走・かしわ記念に続き2回目。そのかしわ記念の最終追い切りにはわざわざ園田競馬場まで駆けつけて乗っていて、馬の癖を把握していたことも好材料だったでしょう。

 新子調教師はこう続けます。

「思ったよりも浦和の直線は短く感じて、直線に入って前を交わせないと思いましたけど、前の2頭の間を割ってからが速かったですね。最後の伸びがいつも以上でした」

 決して長くはない直線でしっかり差し切れたのは、一瞬のキレ味に磨きがかかっていたからとも言えるでしょう。それは追い切りの段階から表れていました。

「これまでの追い切りではダラッと走りながらも、いいタイムが出るような内容でした。それが今回は反応がすごく良くて、『あれ? 』と思ったほど。タイムもかなり出たので、『やりすぎたかも……』と不安になりました」

 このレースの後は夏休みに入ることが決まっていたため、調教でギリギリまで攻めることができる状況でした。とはいえ、調教でやりすぎてしまうと、そこがピークとなってレース当日には状態が下降線になりかねません。

 そしてもう一つ、調教が良すぎたことで、新子調教師の脳裏にはある悪夢がよぎっていました。

◆抜群の手応えだったのに…レース直後に倒れて息を引き取った管理馬

 それは今から8年前のJBCスプリント。大井競馬場で開催されたダート競馬の祭典にタガノジンガロと挑みました。

 同馬は前年にかきつばた記念JpnIIIを制覇した馬。それは新子厩舎にとっても初のダートグレード制覇で、再びJRA馬を相手に勝とうと日々調教を積んでいました。

 JBCスプリントの前に臨んだ東京盃は初の1200mで一旦は後方に置かれる場面がありながら、ゴール前で伸びて5着。JBCスプリントは2走続けての1200m戦で、短距離特有のスピードへの慣れが見込まれていました。

 その期待通り、最内枠から好スタートを決めると、3〜4番手につけていい手応えで4コーナーを迎えました。ところが、直線入口ではそれまでの手応えが嘘だったかのようにパタリと止まって、14着。

 騎乗した木村健騎手(当時)も「手応えが良くて『よっしゃあ! 』と思ったんやけど……」と首を傾げて戻ってきました。

 鞍を外し、みんなで首筋を撫でて走りを称え、さあ帰る支度をしようと歩き始めた直後、タガノジンガロは倒れ、そのまま息を引き取りました。

「急性心不全でした。一旦ピクッと戻って目も開けたけど、顔にはもう覇気がなくて、すぐに息を引き取りました」

 それから何年もの間、新子調教師はタガノジンガロの遺髪をいつも胸ポケットに忍ばせて管理馬のレースを見守り続けていました。

 その後、地元リーディングに輝き、エイシンヴァラーやエイシンバランサーでもダートグレードを勝ってしばらく経った頃だったでしょうか。「いつまでもコイツに頼ってたらアカンな」と呟き、お守り代わりだった遺髪を胸ポケットから取り出したのでした。

 でも、あの悲しみを忘れたわけではありませんでした。

 今年5月28日。日本ダービーという一生に一度の晴れ舞台でスキルヴィングがゴール入線直後、急性心不全で倒れ、そのまま息を引き取った場面を見て、当時の悲しみが蘇ってきました。

「ダービーを見て、すごく怖かったです。ジンガロも倒れたのはレースが終わってほどなくしてから。重なる部分がありました」

 数日後にはイグナイターと挑むさきたま杯が控えていて、前日には抜群の動きとタイムを出した追い切りを終えたばかり。

「ジンガロの時も『状態がかなりいい』と手応えを掴んでのレースだったけど、ああいう結果になってしまいました。だから、イグナイターもやりすぎてしまったんじゃないか、とさらに怖かったんです」

 あの時もう少しだけ調教を手加減していたら、ジンガロは生きていたかもしれない――

 そんな自責の念をずっと抱えて生きてきたのでしょう。しかしながら、競走馬はペットではなく、レースで勝つことが存在意義となります。ほんの少しでも調教を緩めていたら、絶好の手応えで4コーナーを回ってくることさえなく、見せ場なくゴールしていたかもしれません。

 勝負のために犠牲にしていい命などありませんが、究極の仕上げでなければ勝つことが難しいのが大レースでもあります。そのギリギリのところで、陣営は戦っているのです。

「今回、イグナイターが勝ったことでちょっとは乗り越えられたかな。浦和競馬場に行ったのは、ジンガロのさきたま杯以来9年ぶり。これまで南関東では地方馬同士の重賞でも勝てなくて、ましてやジンガロの死があったから、勝つことが出きて泣きそうになりました」

 タガノジンガロで夢は果たせなかったけど、その経験を糧にイグナイターで勝利へと繋げられました。そして何より、無事にレースから帰ってきて、元気な姿で口取り写真にみんなで収まることができました。

「感動したけど、涙は念願のGI/JpnI制覇まで取っておく」と言います。

 その時が来る日を心待ちにしていますし、タガノジンガロをはじめとする多くの馬の経験があってたどり着ける場所だということ、胸に秘めておきたいと思います。

(文=大恵陽子)

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