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アイバーソンが“キャリアで最も後悔したこと”を告白「ブラウンHCの指導を素直に受け入れられなかった」<DUNKSHOOT>

THE DIGEST

 2000-01シーズンは、まさにアレン・アイバーソンのための年だった。

 平均31.1点を叩き出し2年ぶり2度目の得点王に輝いたほか、平均2.5本を奪い初のスティール王も獲得。2月のオールスターでは2年連続2度目の先発出場を果たすと、25得点をマークしてイースタン・カンファレンスを劇的な大逆転勝利に導き、オールスターMVPに選出された。

 さらにフィラデルフィア・セブンティシクサーズをイースト首位の56勝26敗(勝率68.3%)に導き、オールNBA1stチーム入り、そしてシーズンMVPを受賞。プレーオフでもヴィンス・カーター率いるトロント・ラプターズ、レイ・アレン擁するミルウォーキー・バックスとの死闘を制してファイナルに進出すると、迎えた頂上決戦では初戦でいきなり48得点を叩き出し、無敗で勝ち上がってきた前年王者ロサンゼルス・レイカーズにこの年のプレーオフ唯一の土をつけてみせた。

 最終的に1勝4敗で敗れ、リーグ制覇には届かなかったものの、このシーズンのアイバーソンが人気、実力とも絶頂期にあったのは間違いない。

 実際にアイバーソンも、当時は“敵なし”と感じていたようだ。現地時間5月31日(日本時間6月1日)に『NBA TV』で公開された、2001年のシクサーズを特集したドキュメンタリー『Everything But the Chip』内で、アイバーソンはこの頃について「コートに立つたびに、自分が最高の選手であると感じていた」と回想している。
  そんなアイバーソンが、自身のキャリアにおいて最も後悔していること。それは、1997~2003年まで、選手と指揮官の間柄にあったラリー・ブラウンHC(ヘッドコーチ)に反目してしまったことだという。

「俺のキャリアの中でひとつだけ後悔しているのは、(ブラウンの)建設的な批判を素直に受け止められなかったことだ。一度それを受け入れたら、すべてが変わった。グッドプレーヤーからMVPになったんだ」

 ブラウンの下でMVPプレーヤーまで上り詰めたアイバーソンだが、生真面目な指揮官と“問題児”の自身は反りが合わず、厳しい指導に猛反発。2003年にブラウンが退団する形で袂を分かつことになったものの、その後チームは低迷、アイバーソンもシクサーズを頂点へ導けないまま、2006年にデンバー・ナゲッツへとトレードで放出された。

 現在は和解しているが、もしアイバーソンがブラウンの下でプレーし続けていたら、どれほどの選手となり、いくつチャンピオンリングを手に入れていたのか。そう思わずにはいられない。

構成●ダンクシュート編集部

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