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優勝監督、大毎・西本幸雄監督、バカヤロー解任(後編)/『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1960年編

週刊ベースボールONLINE

 5月31日、『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第2弾、1960年編が発売された。その中の記事を時々掲載します。


『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1960年編表紙

納会での大合唱


 大毎オリオンズは結局、日本シリーズ4連敗。4戦目にもスクイズ失敗があった。

 西本幸雄監督は日本シリーズのあと、すぐ永田雅一オーナーにお詫びに行くつもりだったが、両者が感情的になった一件を知っていた和田準一球団代表から「少し時間を空けたほうがいい」と言われ、マスコミにも告げず、温泉にしばらく雲隠れした。永田はのち「日本シリーズのあとで西本が謝りにくればもう1年任せるつもりだった」とも言っていたが、そのあと自宅に戻った西本監督は、誰に勧められても永田オーナーのところに行こうとしなかった。

 もともと派手好きな永田オーナーは、前年限りで別当薫監督が退任とあったあと、別当に匹敵するスター監督を後任にと考えており、それが実現せず、ヘッドコーチの西本が監督候補となったときも、「西本? ワシは西本のニの字さえ知らない。そんな名のない男にオリオンズの監督をやらせられるか」と言っていた。

 11月18日、大毎は毎日の役員総退陣を発表。代表も何かと西本を援護していた毎日出身の和田代表から松浦代表になった。正式名称の『毎日大映オリオンズ』は変わらないが、完全に『永田大映』になったということだ。

 さらに永田オーナーは西本監督の進退を明言しないまま、次期監督について、「水原茂君を狙う。水原君がダメだったら誰にするということはいっさい考えない」と言った。ただ、同年限りで巨人監督を退任した水原には、すでに東映が交渉を始めていたので、「水原君には東映の交渉が終わるまでは手を出さない」とも付け加えた。

 このあたりの適当さも時代だが、西本監督は立場が宙ぶらりんのまま秋のオープン戦も指揮。11月24日の湯河原の球団納会にも参加した。もちろん、永田オーナーは欠席だ。あいさつに立った西本監督は「今シーズン、選手諸君の努力により10年目にしてパ・リーグの優勝を勝ち取ることができました(1950年の毎日時代の優勝から10年目)」と感謝し、日本シリーズについては、「日本シリーズのあの惨敗。これは皆さんが力を十分発揮してくださったにもかかわらず、私の不徳と未熟の致すところにより、試合を失う結果となってしまいました。しかし、こよいひと時は、あの忌まわしい記憶を忘れて、パ・リーグで優勝できたとう喜びを分かち合って楽しく過ごしてもらいたいと思います」と話し、拍手の雨が降り注いだ。

 余興の時間に指名されて舞台に上がった西本監督が「何をやろうか」と言うと、「花王石鹸の歌をやれ」と声が上がった。

 欧米人のようにあごが少し長い西本監督は、よく「あごがしゃくれた」と言われていたが、当時の花王石鹸のCMで「あごのしゃくれたお月様、お風呂の窓からのぞいてる」という歌があった。

 西本監督は「よっしゃ、だけど歌詞を知らんから音頭をとる。みんなで合唱してくれ」と言い、「せいの~」と言うと、「あごのしゃくれた監督さん、ベンチの中からのぞいてる」とみんなで大合唱となった。

 結局、西本監督が正式に辞表を出す前に、国鉄監督をやめた宇野光雄の新監督就任が決定。水原は東映の監督になった。西本は新人事がすべて決まったあと大映本社を訪れ、永田オーナーに辞表を提出した。
 
   

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