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ウララ(Fuhua)[インタビュー前編]マイケル・ジャクソンへの憧れを胸に邁進した幼少期の芸能生活「東京でのお仕事が終わると車で戻って、地元に朝ついたらそのままランドセルを背負って学校に行ってました」

Pop’n’Roll

日本テレビ×プラチナムピクセルによる新アイドルプロジェクト『NFT IDOL HOUSE』より生まれた新アイドルグループ・Fuhua(フーファ)。SILENT SIRENのすぅが総合プロデュースを手がける同グループは、“孵化”をテーマに、NFTとアイドルを組み合わせた“web3新時代のアイドル”として活動していくという。来たる6月11日(日)にLINE CUBE SHIBUYAで開催するお披露目公演より本格始動となるFuhuaの魅力を解き明かすため、Pop’n’Rollではメンバー8名のソロインタビューを実施。今日と明日は、ウララのインタビューをお届けする。前編となる今回は、4歳から取り組んでいた芸能活動を中心に、小学校から高校までの歩みについて話を訊いた。

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インタビュー:竹内伸一
撮影:武石早代

作曲を1日2時間やるってノルマを決めて、300曲くらいは作ったと思います

――小さい頃はどんな子どもでしたか?

ウララ:
私は4歳から芸能活動をしているので、物心ついた時には芸能の世界にいたんです。人前に出ることが好きだったので、性格も内気というよりは明るい方だったと思います。

――芸能活動を始めたのはどんなきっかけだったんですか?

ウララ:
マイケル・ジャクソンの映画があったじゃないですか。

――『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』ですね。

ウララ:
それを父親に連れられて観に行って、幼いながら“カッコいいな”って思ったのがきっかけなんです。それからは将来の目標とかを聞かれると、普通は女優さんとかアイドルの○○さんみたいになりたいって答えると思うんですけど、私は“日本のマイケル・ジャクソンになりたい”って、ずっと一点張りで答えていました(笑)。それで、母親も乗り気で“行ってみようか”ってことで、地元のアクターズスクールに入ったのが4歳です。

――アンパンマンやドラえもんではなく、4歳でマイケル・ジャクソンに憧れるというのは、なかなかの早熟ぶりですね。

ウララ:
もちろんアンパンマンもドラえもんも観ていましたよ(笑)。両親が昔、バンドをやっていたりして、音楽が大好きなんです。家には音楽が溢れているような環境でした。当時の好きな曲は「愛のコリーダ」でした(編註:マイケル・ジャクソンのプロデューサーとしても知られるクインシー・ジョーンズが1981年にヒットさせたディスコナンバー。同曲収録のアルバム『The Dude』にはマイケルもゲスト参加している)。

――スクールでは、どんなレッスンをしていたんですか?

ウララ:
まずは演技レッスンですね。それと歌とダンスも。すべてを勉強させていただきました。あと、6歳の頃から作曲を始めました(笑)。マイケル・ジャクソンって何でもできるじゃないですか。歌とダンスだけじゃなくて、プロデュースもするし、いろいろな楽器もできるので、私もそうなりたいと思って、ギターを買ってもらったんです。でも、ギターは小学4年生からじゃないと習えなかったんですよ。その年齢くらいにならないと、まだ手が小さすぎて演奏できないってことで。だから最初は父親に教えてもらって。

――ギターは自分からやってみたいと言ったんですか?

ウララ:
興味があったんです。ただ、親がスパルタで“なんでそんなこともできないんだ!”みたいな感じで、ケンカになってしまって、あまり長続きはしませんでした(笑)。一応、ちょっとは弾けるという感じです。

――作曲はギターでやっていたんですか?

ウララ:
最初はピアノです。それから(Apple)Logicでやっていました。小学4年生からは東京のグループに入ったんですけど、その楽曲を作っていた方は、いろいろなアーティストに楽曲を提供している方で、その人に教えてもらっていました。

――PCにLogicを入れて、打ち込みで作曲していたんですか?

ウララ:
そうです。ランドセルにパソコンを入れてました(笑)。それで、作曲を1日2時間やるって自分でノルマを決めてやっていました。300曲くらいは作ったと思います。SEみたいな短い曲もありますけど。5年間くらい曲を作り続けて、ある程度作れるようになったんですけど、“これはプロになれないな”って自分の中で確信したんです(笑)。今は、映像制作をすることがあるので、そのBGMをちょくちょく作る程度です。

ウララ(Fuhua)

勝手にこれは運命だって、マイケル・ジャクソンにシンパシーを感じていました

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――演技、ダンス、音楽といろいろ経験する中で、どれに1番ハマりました?

ウララ:
実はそれだけじゃなくて、いろいろ習い事を掛け持ちしていて。スクールとは別に週7でダンススクールに通って、バレエと新体操、英会話もやっていました。その中で1番しっくりきたのがダンスです。1番好きだったので、別のスクールにも通うようになったんです。

――小学生ながらすごいスケジュールですね。友達と遊んでいる時間はないですね。

ウララ:
高校生になるまで、友達と遊んだことがなかったです。遠足とか以外で遊びに出かけた記憶がないです。私が忙しいので友達から誘われなくなってしまって。でも、友達には恵まれていて、休んだりしてもみんな優しくて仲よくしてくれていました。

――友達と過ごすよりもダンスや芸能活動の方が面白かった?

ウララ:
というより、それが普通だったというか……物心ついてからはずっと、土日は芸能活動で、平日は学校へ行くという生活だったんで、それが当たり前で、友達と遊べないからといって不満は特になかったですね。

――平日は学校といっても、終わるとスクールや習い事があったんですよね?

ウララ:
小4まではそうですね。小学4年生からはグループ活動を始めたので、土日は東京に通っていました。片道9時間かけて(笑)。地元が徳島なんですよ。

――金曜日の夜に徳島を出て、土日は東京で活動するという感じですか?

ウララ:
金曜日か木曜日の夜ですね。金曜日と月曜日は、学校をお休みすることが多かったです。1週間のうち4日間は東京っていう生活を5年間続けていました。

――大変ではありませんでしたか?

ウララ:
出席日数が足りなくなってくるので、体調が悪くても学校には必ず行っていました。ただ、お仕事って、前日にスケジュールが決まるようなこともあるじゃないですか。例えば、急にCMのお仕事が決まったとか、ダンスのレッスンが急遽入るとか、そういうことがけっこうあって。でも、絶対に仕事に穴は開けたくなくて。お仕事が終わると夜行バスやお父さんの運転で東京を出て、徳島に朝ついたらそのままランドセルを背負って学校に行ってました(笑)。

――ものすごく大変じゃないですか!

ウララ:
遠くから通っているということで、お仕事に穴を開けるのが嫌だったんです。ちょっとしたレッスンとかでも、絶対に休まずに東京に行ってました。

――小学生ながらすごい責任感ですね。

ウララ:
親にも“中途半端にやるんだったら辞めなさい”って言われていたんです。“東京までの往復とか、芸能活動にまつわるさまざまなことはサポートするけど”って。そういうサポートがあったから、穴を開けずに東京に行けていたんです。

――東京で始めたグループ活動というのは、どういうものだったんですか?

ウララ:
小中学生向けの雑誌から始まったユニットでした。その雑誌をよく読んでいて、自ら応募して、雑誌に出たりもしていたんです。それでグループを作るってことで、受けてみようと思って。雑誌発だったので、お洋服とかも可愛いんですよ。小学生が着たくなるようなもので、いわゆるアイドルというよりも、ちょっとおしゃれな感じのグループで、それがすごくいいなと思って受けました。

――では、小学生によるグループだったんですね。

ウララ:
小学4年生が7人くらいいました。中学3年生まで続けて、中学を卒業すると、グループも卒業かなっていう感じでした。そういう決まりがあったわけではないんですけど、小中学生限定のグループでしたね。

――グループ活動をしていた時のことで、特に印象に残っていることは?

ウララ:
いろいろやらせてもらったんですけど、印象に残っているのは、個人のお仕事として幽霊役をやらせてもらったことがあって。VRのアプリゲームがあって、そこに登場する幽霊でした。すっごい森の中へ行って、夜まで撮影しました。刺されるシーンがあったりして、ずっと血まみれでした(笑)。子どもだったのですっごく怖くて。ああいう現場って、スタッフさんとキャストが集合して、まずはお祓いしてから撮影を始めるんです。マネージャーさんも母も一緒だったんですけど、それがすっごく怖かったです。歯に黒ずみを塗って、真っ黒にしてやってましたね(笑)。

――そんな状況、大人でもちょっと気味が悪いですよね。

ウララ:
でも楽しかったです(笑)。グループとしては、メジャーデビューをさせてもらったんですけど、そのお披露目をサンシャインシティの噴水広場でやったんです。お客さんが多くて、すごく印象に残っています。応援してくれている方が、“やっとCDが出た!”っていう感じで、すごく喜んでくれたんですよね。そういえば、マイケル・ジャクソンって確か10歳くらいでデビューしているんですよ。だから、私も一緒の時期にデビューしたいって思っていたんです(笑)。それで、その年齢くらいで私も恵まれたことにCDを出せたので、勝手にこれは運命だって、マイケルにシンパシーを感じていました(笑)。私、ピアノもやっていたんですけど、気づくと1日8時間とか練習していたんです。練習し過ぎて指が切れてしまったこともあるくらい(笑)。母が音楽大学出身なんで、つきっきりで教えてくれたんです。正直、“なんでこんなにつらい思いをしているんだろう?”って疑問に思うこともあったんですけど、“いや、マイケルは何でもできるぞ、自分よりも何倍も努力しているはずだぞ”って自分を奮い立たせていました(笑)。

――グループ活動は楽しかったですか?

ウララ:
楽しかったですね。ただ、初期のメンバーだった子が辞めて、最前線で活躍しているグループに入ったりすることもけっこうあって、そういう姿を見ると、私はこのままでいいのかなって考えることもありました。

ウララ(Fuhua)

自分で脚本を書いてキャスティングして、撮影場所を借りたりして、10本くらい映画を撮りました

――高校生になると芸能活動からは離れてしまったそうですね。

ウララ:
高校生になったタイミングで上京してきたんです。もともとは芸能活動を真剣にやろうと思って母親と2人で東京に来たんですけど、コロナで何もできなくなってしまって。芸能活動の方も、オーディションもほとんどなければ、今までやっていた活動も制限されてしまって。それに、さっきも話したように、私は友達と遊んだことがなかったので、高校に入って、すごくはっちゃけちゃったんですよね。あ、悪い意味ではないですよ(笑)。友達と放課後にちょっと出かけるとか、カフェに行ったりするといった経験がなかったので、そういった普通の高校生活が楽しかったんです。それもあってオーディションを受けなくなってしまって。芸能活動を辞めてしまったのは、それが1番の原因かもしれません(笑)。

――でも、これまでしてこなかったことを経験できたというのは、逆によかったんじゃないですかね?

ウララ:
そうかもしれないですけど、それまでは家に帰ったら何かやらなくちゃいけないことがあって、土日にもやることがあってという生活から、一気に何もない生活になったわけじゃないですか。やることがないのに、コロナだから外出もできないし。それはすごくつらかったですね。勉強面もすべて投げ打って芸能活動に費やしていたので、頭がいいわけでもないので“何をしたらいいんだろう”っていう不安がありました。

――では、高校生活で楽しかったこと、ハマったことは何ですか?

ウララ:
お菓子作り(笑)。小中の頃は、母親がしっかり体重管理をしてくれていて、高校に上がるまでジュースを飲んだことがなかったんですよ。そういう反動もあって、高校時代はすっごく太りました。母からも芸能活動をしているわけではないので、特に何も言われなかったんです。“今しか遊べないんだから、楽しんだらいいと思う”って言ってくれたので、お菓子を作っては食べて、友達と遊びに行っては食べてみたいな生活でした。だから高校生になってから1年くらいですごく変わりました。見た目も中身も。

――でも、そのくらいの方が高校生らしくてなんだか安心します。

ウララ:
そうですかね(笑)。でも、中学生までは毎日体重を計って、体重が増えていたら怒られたりしていたので、それに比べたら普通の生活だったのかもしれませんね。あと、バレエもやっていて、バレエは身体が軽いのが命みたいなところがあるんですけど、それも辞めちゃったので、余計に太りました(笑)。

――何もしていなくてもお腹が減る年頃なので、それでよかったんだと思いますよ。コロナ禍ではありつつも、高校生活は満喫できたんですよね?

ウララ:
そうですね。高校は芸術系の学校だったんです。芸能コースではなくて、裏方のお仕事も学びたいなと思って、映像系に進んで。もともとは、“自分で歌って踊って映像も撮れたら面白いじゃん!”みたいなところだったんですけど、思った以上に面白くて。お菓子作りにもハマっていましたけど、映像制作やその編集、映画を撮ったりっていうことにもハマっていました。

――映画も撮ったんですか!?

ウララ:
映画部だったんです。自分で脚本を書いてキャスティングして、撮影場所を借りたりして撮っていました。

――上映会もしたんですか?

ウララ:
学校の卒業展で上映しました。あと、コンペに応募したりもしていました。映画は10本くらい撮ったんですよ。中学までとは違ってすることがなかったので(笑)。家に帰って脚本を書いて、とりあえず撮ってみようっていう感じで始めたんです。あと、写真集も自分で作ってみたりとか、学校の授業ではホームページも作りました。

――すごく多彩ですね!

ウララ:
いろいろなことをちょこちょこやってきたっていうだけです(笑)。

――FuhuaでもMVをご自身で作れたらいいですね。

ウララ:
やりたいです。ずっと“作ってみたいです”って言ってはいるんですけど、もうちょっと勉強して、力がついたらやらせてもらいたいです。

――好きな映像作家や映画監督はいますか?

ウララ:
『ミッドサマー』とか『ヘレディタリー/継承』とかを撮ったアリ・アスター監督が好きです。私、ホラーが好きで、ゆくゆくは自分でもホラー映画を撮ってみたいと思っています。日本では『こどもしょくどう』の日向寺太郎監督とか、脚本という面では『ヴィレッジ』の藤井道人監督に憧れますね。1年間で100本以上の映画を見ることが目標で、見たら感想をノートに書くようにしています。

――最近は何を観ました?

ウララ:
最近観に行ったのは『エスター ファースト・キル』。私、『エスター』が好きなんです。それと、昨日は『ユージュアル・サスペクツ』を観ました。これも大好きで、昨日が4回目(笑)。あとは『雨に唄えば』と、『女と男のいる舗道』とかを観ましたね。

――ジャンルや時代を問わず、いろいろな作品を観ているんですね。

ウララ:
メンバーに“この映画面白いよ”って言っても、あまり理解してもらえません(笑)。でも、自分が生まれる前の作品なんて、普通はよく知らないですよね。

インタビュー後編は、5月30日(火)12:00に公開!

ウララ(Fuhua) サイン入りチェキプレゼント

デビューライブ情報 <”Fuhua” Premium Reveal Live>

<”Fuhua” Premium Reveal Live>
日時:2023年6月11日(日)開場12:45/開演13:30
会場:LINE CUBE SHIBUYA

■第2次抽選先行
5月18日(木)10:00〜5月30日(火)23:59
抽選期間:〜6月1日(木)23:59

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※今後発売予定のNFT IDOL HOUSEのNFT購入者の方限定
※NFTの販売時期は後日公式SNS等で発表します
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