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昭和ジャニーズの間で有名だった「原宿の合宿所」に、中居と国分も

リアルライブ

 ジャニー喜多川氏(享年87)の性加害報道によって、再び知れ渡ることとなったジャニーズ合宿所。昭和の時代、古くはジャニー氏がマネージャーを務めていた川崎麻世に始まり、男闘呼組や少年隊、光GENJIやSMAP、TOKIOやV6、関西から上京したジャニーズJr.たちほか、多くの少年たちが都内原宿にあった同所を住居の場としてきた。

 所属タレントにとって「合宿所トーク」と「ジャニーさんトーク」は、“テッパンネタ”だった。ところが、この合宿所こそが、ジャニー氏が未成年男性たちに性行為をしていた現場。今後、テッパンネタは永遠に封印されるだろう。

 現在活躍する40代、50代のOB、現役ジャニーズのほとんどは合宿所を訪れたことがある。80年代、ジャニー氏の書斎に近く、最も大きな部屋を1人であてがわれていたのは、たのきんトリオ時代の田原俊彦。18歳から26歳くらいまで住んでおり、食事も風呂も最初という絶対的な権威者だった。冷蔵庫に入っている「104」と書かれたいちご牛乳を、知らずに飲んだ光GENJI結成前の諸星和己が怒られたのは、有名な笑い話だ。

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 たのきんに続いて、光GENJIが社会現象を巻き起こした後は、合宿所を出た。空き部屋が目立ったこのタイミングで入居したのは、城島茂。続いて中居正広。寮母がいない時、2人は中身が少ない貧乏カレーを作って、一緒に食べた。その輪に加わったのは、国分太一。3人は、当時流行していたファミコンで距離感を縮めた。

 「中居さんと国分さんは、いわゆる同じ釜の飯を食った仲。ファミコンで繋がれた背景にあったのは、大の野球好きです。中居さんはジャイアンツの選手になりたいと思って、草野球を続けていた小学生。国分さんも小学生の時に野球をしていたので、合宿所では野球のファミコンに没頭していたらしい」(アイドルライター)。

 合宿所を出て、一人住まいを始めてからは、スケジュールを合わせることが難しくなった二人。だが、2015年に開かれたジャニー氏の誕生日会ではじゃれ合い、中居が国分のネックレスをわざと引きちぎる暴挙に出て、子どもの頃に戻ってはしゃいだという。16年にSMAPの解散が決定すると、当時司会をしていた情報番組「ビビット」(TBS系)で国分がコメント。中居は、「なんかごめんな」とメールを送った。

 ジャニー氏は19年に死去。4年の歳月が流れて、最近は連日に渡って“魂のレイプ”の加害者として報じられている。青春の思い出が詰まったはずの合宿所が事件現場だった現実は、なんとも悲しい。

(伊藤由華)
 
   

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