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子供の運動嫌いは学校体育が原因。子供の「好き」を奪う呪いの言葉とは

パラサポWEB

「運動嫌いを増やしてしまう学校の体育の常識」といった、刺激的なタイトルの記事に目を惹かれた筆者は、その真意を知るべく発言の主である松尾英明氏に連絡を取った。松尾氏は千葉県の公立小学校の現役教員であり、『不親切教師のススメ』という、これまた刺激的なタイトルの本を執筆した著者でもある。松尾氏が言う、子どもを運動嫌いにする学校体育の常識とは?

「比較」が子どもを運動嫌いにする

ここに興味深い数字がある。スポーツ庁が行った「令和4年度全国体力・運動能力、運動習慣等調査結果」によると、運動やスポーツが「やや嫌い」「嫌い」と答えた小学生が14%なのに対し、中学生では22.8%と、5人に1人以上の子どもが体を動かすことにネガティブな感情を持つようになってしまっているというのだ。小さい頃は、大人が「走らない!」「じっとしてなさい!」と注意しても楽しそうに体を動かしていたのに、なぜ、年齢を重ねるごとに運動が嫌いになってしまうのだろうか? その原因のひとつが小学校の体育授業にあると松尾氏。

「運動を嫌いになる原因のひとつは、“比較”です。子どもはもともと運動は嫌いじゃないはずなんです。幼稚園の時に友達同士みんなでわーっとかけっこをしたり、ボール遊びをするのは楽しかったのに、体育の授業で急に徒競走で順位を決めるような状況になって、誰よりもできる、できないと比較されるようになることで楽しくなくなってしまうんです。みんなで一緒にやる共同の楽しさや喜びを感じていたのに、それが削られて優れた運動能力を持った人だけが褒められたり評価されたりするようになれば、大人だって嫌になりますよね」(松尾氏、以下同)

しかし、学校体育では徒競走やマラソン大会の順位、跳び箱が何段飛べた、縄跳びで何回飛べたなどの数字が評価の対象となるのだから、比較されるのは仕方のないことではないだろうか? そうした筆者の問いを松尾氏はあっさり否定した。

誤解だらけの目標設定

千葉県の公立小学校の現役教師である、松尾英明氏。オンラインで取材を受けてくれた

「そもそも、小学校の学習指導要領に“体育でこういう数字を達成しなければいけない”という具体的な数字は記載されていません。たとえば水泳はプールがない学校もありますから、日本全国の学校で実施できるわけではありません。スキーもそうですよね。体育の目標は“生涯にわたって健康を保持増進し、豊かなスポーツライフを実現すること”であって、その教材として水泳や球技など、いろいろな種目が例にあげられているだけです。何メートルを泳げなきゃいけないとか、逆上がりができないといけないということは書かれていないんです。

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よく学校ではマラソン大会など長距離を走ってタイムを計るイベントを実施していますが、指導要領には高学年ならば“無理のない速さで5~6分程度の持久走をすること”としか書かれていないんですよ」

他にも指導要領では、短距離走の具体的な数値目標を掲げていないし、逆上がりや縄跳びなど、子どもたちが必死にできるように練習している種目についても「必須」といった表現はしていない。では、なぜ日本中の多くの小学校では、さまざまな種目に目標を作り、それを達成させようとするのだろうか。

「学校の先生たちは基本的に真面目で子どもが好きなんです。だから子どもたちの能力を伸ばしたいと考えて、二重飛びが何回できるようになる、などといった最低到達目標を掲げた学習カードなどを作るわけです。それがいつの間にか“ここまでできないといけない”というふうに誤解されて広まってしまう。最初は善意で作った目標が、3年生では25メートルを泳げないとダメだよねとか、跳び箱を何段飛べなきゃダメなんだよねと、義務、必須の課題になってしまっているケースが多いんです」

教師たちが生徒を思って作った目標が、できる子とできない子を生みだし、結果として運動嫌い、体育嫌いに繋がっているとしたら本末転倒ではないだろうか。松尾氏はこうした教師の指導に対する姿勢について著書『不親切教師のススメ』の中で以下のように記している。

立ち止まり、考えてみてほしい。一体、誰のためにできるようにさせたかったのか。子どものため、というのが一般的な回答になるだろうが、実際には指導者の設定した目標達成のためであったり、指導力を証明するためであったりすることがままある。
(『不親切教師のススメ』さくら社刊 37ページ)

これは松尾氏の過去の経験からくる自戒の念も込めた言葉だが、書籍ではさらに、以下のように続く。

技能の習得については、本人の意思を尊重するのがいい。本人が「何が何でも達成したい」というのであれば、それに寄り添い成功へと導くのが指導者の仕事の本分である。一方で、本人にそれができるようになりたいという強い願いがないのであれば、指導者としてやるべきことをやったら、後は本人に任せればいい話である。
(『不親切教師のススメ』さくら社刊 37ページ)

ここだけを切り取ると誤解を受けそうだが、松尾氏は、スポーツにおいて指導者が熱心に指導することを否定しているわけではない。あくまでも体育の授業の話をしているのだ。

そもそも体育の意義とは

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