あっという間に情報が拡散してしまう現代。退職者が書き込める、いわば企業のレビューサイトも多く存在し、転職活動する際に参考にすることも多いだろう。クローズドだった時代に比べれば、自浄作用が働き、職場環境は改善したのかもしれない。しかし、今だに姑息な手段で社員を追い詰める企業はゼロではない……。
かつて勤めていた企業の「嫌な思い出」を語ってくれたのは、永井翔太さん(仮名・29歳)。当初はまともに思えたものの、徐々に化けの皮が剥がれていったそうだ。
◆条件に惹かれてエンジニアを志すことに
「それまで不動産業界で営業をしていました。数字を上げないと給料は雀の涙。勤務時間もかなり長くて、自分にはとても続けられないと思いました。とにかく条件の良さで転職先を選ぼうと思って。結局選んだのが、ITエンジニアの仕事でした」
永井さんはITに関する知識はほぼゼロに等しかったが、転職活動はさほど困らなかったという。
「IT業界は慢性的に人材不足なんです。そのため、完全未経験から育てる企業も多くあります。そうした育成面と条件面を重視して選んだのがその会社でした。残業は月10時間程度で年間休日は130日近くあって、賞与も5ヶ月分出るという点にも惹かれました」
◆雰囲気も良く、残業もなかったが…
実際に働いてみても、良い会社に思えた。
「3ヶ月間の研修で、エンジニアの基礎となる考え方からしっかり教えてもらえました。その後は、派遣先での勤務でしたが、先輩社員たちとのチームで参加する形だったので、現場で困ることもなく、話の通り、残業もほとんどありませんでした」
しかし、違和感を覚える出来事があったという。
◆“トイレ遅刻”で始末書を書くハメに
「朝から腹の調子が悪い時があって、途中下車して30分ほど遅刻して出勤したんです。そのとき、派遣先の企業から特に文句を言われることもなかったのに、人事から始末書の提出を求められたんです」
驚いた永井さんは、始末書を書く理由を人事に尋ねた。
「『あくまでも形式的なもの』と言われました。先輩たちも書いているというので、腑に落ちないまま提出しました。昔から胃腸が弱かったため、同様のケースが2度ほどあって、その度に始末書を書かされました」
◆始末書を書かされた理由はまさかの…
入社から1年ほど立った頃のこと、永井さんは始末書を書かされた理由を知ることになる。
「ボーナスが出たんですが、聞いていた額の半分ほどしか支給されなかったんです。人事に問い合わせたところ『勤怠態度の悪さからマイナス査定になった』と言われました。具体的に尋ねると、『3回遅刻している』とのことでした」
遅刻3回でボーナス半分はあまりにもひどいと考えた永井さんは、先輩に愚痴をこぼした。すると、会社のさらなる黒い話を聞くことになったという。
「会社は遅刻や顧客からのちょっとしたクレーム、報告漏れなどの些細なミスで始末書を書かせていました。それを、なかなか成長しなかったり、顧客からのクレームが多い社員を、クビにする理由として使っているとのことでした。法律上、日本では、容易に社員を解雇することはできませんが、始末書を懲戒免職の理由として使っていたんです。先輩によると、それでクビになった社員が年に何人もいるとのことでした」
会社の黒い話はそれだけではなかった。
◆懲戒免職になる前に辞めた
「エンジニアのなかには、炎上案件を担当させられて、精神的に不調をきたして休職する社員もいました。そうすると、会社は契約している産業医への受診を盛んに勧めるんですが、この産業医に診てもらうと、ほぼ100%『復職不可』の烙印を押されてしまうんです。
実際はそんなに悪いわけではないのに、会社は使い物にならないと判断して、退職させる理由にしていたようです。医師にそうした診断を下されると、精神的に落ち込み、本当に鬱になって退職する人が多いそうでした」
そうした話を見聞きするうちに、会社に対する考えは大きく変わった。
「いわゆる『隠れブラック企業』だったんだと思うようになりました。懲戒免職などになったら、履歴書にキズがつきますし、こんなところにいるべきではないと思い辞めました」
永井さんの前職の勤め先は、リーマンショックの時も始末書を利用した肩たたきでコストカットを図り、乗り切っているそうだ。そして今も、順調に業績を伸ばし続けているという。
<TEXT/和泉太郎>
【和泉太郎】
込み入った話や怖い体験談を収集しているサラリーマンライター。趣味はドキュメンタリー番組を観ることと仏像フィギュア集め