top_line

インストール不要ですぐ遊べる!
無料ゲームはここからプレイ

中国、ロシアと対峙して、本当に大丈夫?伝説の元編集者が歴史本を語る

ホンシェルジュ

元文藝春秋文芸局長の羽鳥好之が、愛してやまない「歴史本」を語る新連載をスタート!浅田次郎、林真理子ほか、数々の名著を生み出してきた元編集者の、琴線に触れた歴史本を紹介していきます。

第3回は、近代史を知るうえでおすすめの1冊です。現代の、そしてこれからの日本の外交情勢を理解することにもつながりますよ。

「中国、ロシアと対峙して、本当に大丈夫?」

今月の歴史本:『近代日本外交史』佐々木雄一著

著者佐々木 雄一 出版日

今回は少々堅苦しいタイトルの本をご紹介したいと思います。といっても、通読するのにそれほど難しい本ではありませんので、この書評にもお付き合いください。

日本はどうも外交下手らしい、みなさん、そう思っていませんか?私は漠然と、そんな印象を抱いております。その原因は何かといえば、太平洋戦争に突き進んだ道筋です。明治以降、営々と築き上げてきた国際的地位や海外権益を、日本はこの戦争で一挙に失ってしまいました。戦争末期、日本中の都市が爆撃を受けて多数の民間人が犠牲となり、江戸時代から積み上げてきた国富の大半が灰燼と帰しました。しかも、敗戦が決定的となった段階でさえ、終戦に向けた外交工作を迅速に展開することができず、国土は焦土となったのです。趣味的なことで恐縮ですが、主要都市のシンボルだったお城は、終戦ひと月前にほとんどが焼けています。連合国によるポツダム宣言を、屈辱に堪えて受け入れるリアリズムを指導者たちがもっていたなら、本土爆撃も、原爆投下もなく、死ななくて済んだ人たちがたくさんいた。そのことを、みな、知っています。

では、それは事実なのか。日本は外交が下手だったから破滅したのか?いや、もっと別の原因があったのではないか?例えば、壊滅したのは外交の失敗ではなく、日本の国民性からくる必然だ、そう論ずる向きもあったように思います。世界を巻き込む米中の対立、ロシアのウクライナ侵攻などにより、改めて国の外交のあり方が問われているいま、近代以降の日本外交を把握しておく、どこが良くてどこが悪かったのかを大まか知っておくことは、必要なことではないかと思うのです。

それにうってつけなのがこの本、佐々木雄一著『近代日本外交史』(中公新書)です。

著者佐々木 雄一 出版日

広告の後にも続きます

明治以降の日本の対外関係を論じた本は数多ありますが、この本の特徴は、ポイント、ポイントでどんな外交が展開されたのかを、時の外交責任者を明示し、その外交姿勢を論じつつ明かしてゆく点だろうと思います。ひとつ例を挙げれば、日清戦争から日露戦争へ、日本の外交が比較的うまくいっていた時期の外交は伊藤博文が主導します。この伊藤、日本による朝鮮併合が達成され、その初代総督になったことで暗殺されました。当然ながら、この併合を進めた張本人かと思っていましたが、実は、伊藤の本意ではなかった。朝鮮から清の影響を排除して近代的な独立国家とする、その朝鮮と密接な関係を築くことが日本の東アジアにおける権益確保と安全保障につながる、そう伊藤は考えていたと著者は指摘します。なあんだ、それは幕末の開明的な君主たち、たとえば薩摩の島津斉彬などが主張していた論議に近い考えであり、西郷隆盛に受けつがれ、伊藤博文に繋がったんだと、納得させられる。歴史の必然などではなく、歴史に直接関与する人間の個性によって、大きな違いが出てくる、それが歴史です

その先、中国東北部へ権益拡大を狙うロシアの動きに対応するように、国内では「満蒙権益」を国家の生命線とする声高な主張が徐々に強まります。一方で、第一次世界大戦後の国際外交の大きな変化、軍縮と民族独立への対応を日本は誤ったために、後戻りできない道へと進んでゆくのですが、その過程でも、実はさまざまな外交努力が重ねられていたことが論じられてゆきます。その論法はとてもよく整理がなされていて、いたずらに細部のエピソードや突っ込んだ論議に踏み込むことなく、大きな流れと問題点が頭に入るよう叙述されています。これがとても良い。新書の手軽さで大局観を得られる本はそうはありません。この本のもう一つの特徴といえます。

結論として本書はこう論じます。

1930年代以降、つまり関東軍が引き越した満州事変を境に、日本は破滅への道を加速させてゆくが、その原因は三重のコントロール不全が起きていたからだ。第一に政府・内閣が軍をコントロールできなかった。第二に、軍のなかで上層部が下の者たちや若い者たちをコントロールできなかった。第三に、中央が出先をコントロールできなかった。出先とは、関東軍と、それに呼応した一派、いわゆる革新官僚を指すのでしょう。

この三重の不全のなか、強硬な姿勢をとる軍と、その威勢のいいばかりの主張を支持するジャーナリズムと国民世論によって、それまで経験を積んだプロたちが担ってきた外交が、その経験も知見もない部外者(アウトサイダー)に牛耳られることになった。そこに日本の外交の敗北があった。プロとは何か、相応の利益や、それまでに払ってきたコストに見合う対価を追求する外交官だと、著者は指摘します。少なくとも1930年代以前には、プロが担う外交だった。外交官たちは、基本的に国際秩序に対する信頼感を抱き、それに対応することで日本は発展できると考えていた。要は、国際協調路線を一貫して歩んでいた、そう著者は論じるのです。しごく納得のゆく論議だと思いました。

いま、この厳しい環境にあって日本外交は大丈夫なのでしょうか。岸田総理の真面目な仕事ぶりを私は評価します。派手なパフォーマンスが目立った安部外交より、地道に結果を求めてゆく岸田外交が、より大きな成果を積み上げてゆくように思いますが、それを支える外交のプロは、果たしているのでしょうか。

  • 1
  • 2