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「家を早く出ていなければ…」慄然とする運命的な出来事のつらなり

幻冬舎ゴールドライフオンライン

後見契約によって結びつけられた天涯孤独の女性と司法書士が奏でる希望の物語。※本記事は、松井左千彦氏の小説『天空橋を渡って』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

第一章

わたしはこの日、橋巡りをしようと楽しみにしていたのが、どうしようもない不安と恐れに打ちのめされながら独り歩くことになったのです。

このときすでに午後五時を回っていました。時間は混乱のさなかにまたたく間に過ぎていたのです。この道筋は原爆が落ちた場所からは山の陰にあたるため爆風による被害は上流に行くほど少なくなっていきました。

わたしと同様にこの道を歩いて行く人がおりました。当初わたしは夜には城山に着けると考えておりました。ですが、歩くうちに怪我をした右足が痛み出してしまったのです。止血していましたがふくらはぎがかなり腫れていました。わたしの歩く速度は足を引きずるため極端にのろくなっていたのです。

それでもわたしは午後十時には峠のところまで登ってきました。この夜は生まれたばかりの細い弓のような月が天に懸かっていました。月明かりもほとんどなくよく歩けたものといま思うとふしぎに思います。

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しかしもう歩くことの限界でした。わたしは昭和二十年八月九日の夜、闇のなかで独り野宿することになったのです。わたしは疲れのために道端にうずくまりました。

すると急に空腹感を覚えたのです。わたしは朝食べたきりでした。それ以後何も食べていないことを思い出しました。わたしは闇のなかですこしわらってしまったのです。こんな状況でもお腹は減るものだと思ったからです。それがなさけなくもあり、またうれしくもあったのです。わたしはまだ生きていたのです。

わたしはきょうの昼用に持ってきていた雑穀のおにぎりをがつがつ食べました。そして戦争が激しくなるにつれ外出の際には必ず持っていた水筒の水をごくごく飲みました。するとわたしは泣けてきました。このおにぎりを弟や母はもう食べることができず、この水を飲むこともできないのではないかと。わたしはきょうの朝、無理してでも白いご飯を弟に食べさせればよかったのだと。

でも、そこまで考えたとき、わたしはある事実に思い当たり、その運命的な出来事のつらなりに慄然とするのです。けさ、雑穀のご飯であったことで弟が癇癪を起こし、ご飯茶碗を割ってしまった。わたしはそれを買うために家を早く出たことを。そのことによってわたしの命が助かったことを……。

下の方から電灯を持ち歩いて来る人たちがいました。浦上方面から逃げて来た人たちです。無言のままばらばらに通って行きます。いまにも死にそうな人も通って行きます。あれだけの負傷をし、この道をどうやって登ってきたのだろうと思いました。

やぶ蚊がわたしの手や顔を刺します。わたしはその蚊をたたきつぶします。わたしは極限の状況にいても蚊に刺されると痒かゆかったことを、六十年経ったいまでも憶えているのです。

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