『シン・仮面ライダー』のショッカーは「持続可能な人類の幸福を目的とする愛の秘密結社」の略称とされている。緑川イチローは「ハビタット計画」を発案し、全人類を人間の精神や魂(プラーナ)だけが存在するハビタット世界へ送ろうと目論んだ。コウモリオーグ(手塚とおる)、ハチオーグ(西野七瀬)もそれぞれのやり方で人類を統制、支配しようとしていた。いずれも漫画版のショッカーと同様、人間の心を失くし、秩序正しい世界を作るという目的が共通している(余談だが、同時期に公開された『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』に登場する「パラダピア」の思想もまったく同一である)。
文明と自然の相克が大きなテーマであり、人類による悪しき文明の象徴としてショッカーとコンピューターによる人類支配の手段が登場する漫画版と比べると、『シン・仮面ライダー』の人類支配の方法はスピリチュアルであり、洗脳を用いたカルト宗教のようにも感じられる。そこが1970年代と2020年代の大きな違いなのかもしれない。
さて、先に『シン・仮面ライダー』を観て、後から漫画版を読んだ人なら「あっ」と驚く場面があったかと思う。それが、漫画版の物語の中盤にあたる「13人の仮面ライダーの巻」のエンディングだ。
本郷猛はショッカーが開発した11人の仮面ライダーに惨殺されてしまう。そこに現れた洗脳の解けた一文字隼人が仮面ライダー2号を名乗り、ショッカーライダーたちを全滅させるのだが、科学者たちの手によっても本郷の肉体は蘇らなかった。その代わり、本郷の「心」(脳)は研究所のカプセルの中で生かされ、一文字の「心」とつながることになる。
「いくぞ猛 これからは おれたちはもうひとりぼっちじゃない! いつもふたりだ。――ふたりで『ショッカー』と戦おう……!」
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こう語りながら、仮面ライダー2号はサイクロン号で海沿いの道を疾走する。『シン・仮面ライダー』のエンディングとまったく同じである。ふたりが「隼人」「猛」と下の名前を呼び捨てにしあうところも同じ。庵野監督は漫画版の名場面を『シン・仮面ライダー』に活かそうと考えたのだろう。漫画版ではこの後、本郷は人造人間として復活してダブルライダーが揃い踏みするのだが、はたして……。
多くの人たちが親しんだTV版に愛情を注ぎ、より深く物語を描いた漫画版をベースにしつつ、庵野監督によって現代的なエンターテインメントとして再構築された作品。それが『シン・仮面ライダー』ということなのだろう。(大山くまお)