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リメイク版『生きる』が完璧なイギリス映画になった理由

シネマトゥデイ

主演は英国の名優ビル・ナイ – 映画『生きる LIVING』より – (c) Number 9 Films Living Limited

 映画『生きる LIVING』で脚本を担当したノーベル賞作家のカズオ・イシグロとプロデューサーのスティーヴン・ウーリーがインタビューに応じ、黒澤明監督の名作『生きる』のリメイクにいかに取り組んだかを明かした。

 『生きる』は、市役所での形式的な仕事を淡々とこなすだけだった市民課長が余命宣告されたことをきっかけに、自らの生きる意味を見つめ直す姿を描いた1952年の日本映画。『生きる LIVING』を観て驚かされるのは、日本らしさに満ちたオリジナルに忠実なリメイクである一方で、何の違和感も抱かせない完璧なイギリス映画にもなっている点だ。ウーリーはその理由の一つには、舞台となった1950年代の東京とロンドン、そして日本人とイギリス人の精神に類似点があるからではないかと語る。

 「第2次世界大戦でロンドンと東京はひどい被害に遭いました。イギリスは戦争に勝ったとはいえ、ロンドンを再建するための資金がなく、戦争から6年たっても配給制が続くなど、士気阻喪の空気が充満していました。そして、お役所仕事のような官僚主義もありました。作業をして物事は進んでいると思おうとしても、実際には進んでいないという……。なので、二つの都市はとても似た状態にあったといえるのです」(ウーリー)

 「また、日本とイギリスのストイシズム(ストイックな倫理で自分を律する生活態度)も、他では見られない独特なものです。日本出身で、イギリスで暮らすイシグロは、両国には社会における類似点があると気付いたのです。日本人は自分の感情を抑えがちですが、イギリス人もそうです。自慢したり派手に飾り立てたりすることが好きではなく、落ち着いてクールでいようとしています。しかし感情を抑制するということは、人々が人生を楽しむ術を持ちえないという側面もあると思うのです。そのことがイギリスと日本において、この映画を理解しやすいものにしていると思います」(ウーリー)

『生きる LIVING』に登場する英国紳士たち

 イシグロにとっては、舞台を東京からロンドンへ移し替えるという作業はとても自然なことであり、脚色でこだわったのは、彼が小説家としてそのキャリアで究めてきた“英国らしさ”についての考察と、『生きる』のテーマを融合させることだったと明かす。

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 「単なる直接的な置き換えにはしたくありませんでした。英国人らしさや英国文化、特におじぎや山高帽、傘といった英国紳士らしさについてはわたしが常に魅了されてきたテーマであり、本作はもちろん『生きる』に基づいていますが、新しい面といえるのが、この“英国人らしさ”についてなのです。そしてこの融合に関しては実際、とても上手く行ったと思っています」(イシグロ)

 イシグロは本作の脚色で自身初のアカデミー賞ノミネートも果たしたが、彼の脚本の何がそんなにも特別なのか。ウーリーはこう分析する。

 「彼の脚本には無駄がなく、詳しく書き立てたりはしません。それが俳優に、役に自分自身の要素を入れ込む機会を与えているのだと思います。また、1950年代のスタイルで書かれており、キャラクターたちは様式化された話し方をしています。イシグロが本作に持ち込んだものは、“中流階級への敬意”とでも言えばいいでしょうか。映画やドラマでも、上流階級を描いた『ザ・クラウン』は人気ですし、労働者階級のヒーローも好かれていますが、ほとんどの人々が中流階級を軽視し、退屈な存在だと思っています」(ウーリー)

 「わたしとイシグロは、“見えない存在”となっていたそうした人々の誠実さが好きなのです。わたしは、彼が普段は“見えない存在”になっている、そうした人々に声を与えたと思っています。その声はとても慎み深く、誇張したり、大げさに英雄ぶったりするところはありません。彼のように、そうした声を書ける人がいるとは想像できません。彼がこれまでの小説でそうしてきたように、その声は正直で、誠実なのです」(ウーリー)

脚本を担当したカズオ・イシグロと、プロデューサーのスティーヴン・ウーリー

 『生きる』のイギリス版が制作されることを長年夢見てきたというイシグロは、脚本だけでなく、作品のルックにもこだわりがあった。それについては、オリヴァー・ハーマナス監督を起用する前からウーリーと共に煮詰めていたものだ。

 「スティーヴン・ウーリーとわたしは、この映画が実際に1940年代ないし1950年代のイギリス映画に見えるようにしようと決心していました。わたしにとっては1940年代がイギリス映画の黄金期で、その時代は映画制作にも演技にもある種のスタイルがありました。それは1950年代に失われてしまったように思います。スティーヴンとわたしは、イギリスに存在したそんな映画制作のスタイルにオマージュをささげる映画を作りたかったのです。この映画の舞台は1950年代ですが、映画のスタイルは1940年代のものです」(イシグロ)

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