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村田諒太は「ボクシング界の夢の扉を開けた」五輪&プロで世界の頂点に ヘビー級選手の活躍に識者期待

J-CASTニュース

プロボクシングの元WBA世界ミドル級スーパー王者・村田諒太(帝拳、37)が2023年3月28日、都内で記者会見に臨み現役引退を表明した。村田は22年4月にIBF世界ミドル級王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン、40)と2団体王座統一戦を行い、9回TKO負けを喫し王座陥落。これがラストファイトになった。

プロデビュー戦で東洋太平洋&日本王者を撃破

12年ロンドン五輪で金メダルを獲得しプロでも世界の頂点に立った。五輪金メダリストがプロで世界王座を獲得したのは日本ボクシング史上初の快挙だった。日本ボクシング史に残る偉業を達成した村田。J-CASTニュース編集部は、村田が日本ボクシング界に与えた影響などをTMKジムの金平桂一郎会長(57)に聞いた。

村田は南京都高(現京都広学館高)で高校5冠を達成し東洋大に進学。大学では全日本選手権を制覇して日本の頂点に立った。08年北京五輪の出場権を逃したことで大学卒業後に競技から退くも09年にリングに復帰。11年10月に行われた世界選手権ではミドル級で銀メダルを獲得し、12年ロンドン五輪の優勝候補に浮上した。

初の五輪となったロンドン大会では世界の強豪に勝利しミドル級で金メダルを獲得した。五輪ボクシング競技の金メダルは64年東京五輪の桜井孝雄氏(バンタム級)以来、48年ぶり2人目の快挙だった。

13年8月のプロデビュー戦は、五輪金メダリストにふさわしい豪華な舞台が用意された。対戦相手は現役の東洋太平洋&日本ミドル級王者・柴田明雄(ワタナベ)。村田は臆することなくパンチを繰り出し2回TKOで勝利した。

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その後、着実にキャリアを積み、満を持して17年5月にWBA世界ミドル級王座決定戦に出場。ハッサン・ヌダム・ヌジカム(フランス)と王座を争い、4回にダウンを奪うも僅差判定で敗れプロ初黒星を喫した。5カ月後にヌジカムと再戦し7回TKOで勝利し、悲願の世界王座を獲得した。

「引退は非常に良い決断だったと思います」

金平会長は村田のボクシング人生を振り返り、「村田選手、ジム関係者の方々に対してここまでボクシング界を盛り上げたことに敬意を表したい」と感謝の念を表し、次のように続けた。

「ロンドンオリンピックで金メダルを獲得してプロ入りする際に紆余曲折ありましたが、最後にゴロフキンと好勝負を演じてその後、引退という決断。やるべきことをすべてやっての引退。非常に良い決断だったと思います。プロ入りする際には世界チャンピオンという至上命題があったと思います。期待も大きかった。村田選手はその期待に応えました。大きなプレッシャーがあったでしょう。素晴らしいボクシング人生だったと思います」

金平会長は、アマチュアとプロで日本人には難しいとされていた重量級のミドル級で世界の頂点に立った意義について言及した。

「ボクシング界の未来という観点において村田選手が果たした役割は非常に大きい。村田選手がミドル級で世界チャンピオンになったことで、日本人でも重量級で通じることを証明しました。今まで体が大きくて運動神経の良い子供たちは野球やバスケットボールなどのスポーツに流れていた。それをボクシングに目を向かせた。ゴロフキン戦では多額のファイトマネーが話題となり、プロスポーツとしてボクシングを選択しやすくなったと思います。村田選手が夢を与えた」

そして「いつになるかは分かりませんが、今後、日本人のヘビー級の選手が活躍することにも期待できると思います。ヘビー級は日本ボクシング界の夢。村田選手がその夢の扉をノックし、手をかけて第1の扉を開いた」と語った。村田のプロ戦績は16勝(13KO)3敗。

 
   

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