お笑いにのめりこんだきっかけについて、志村さんは、2004年の本誌取材にこう答えている。
「小学1年のとき、運動会でガマンできず、みんなの前でウンコを漏らしちゃったんですよ。あまりの人の多さに恥ずかしくてねぇ。その汚名を挽回するために、面白いことを始めたんですよ」
そして、その “初舞台” は早い時期にやってくる。小学4年生で友達と組んでコントを披露したのだ。しかも内容は、生前おなじみだった酔っ払いコント。
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「(落語家の)柳家金語楼さんのレコードを元にやったんだよね、中身は覚えてないけど……。最初が酔っ払いの役っていうのが、運命を感じさせるね。そのころから、じいちゃんの晩酌で残ったやつをもらって飲んでたから。
酔っ払いコントは今でも好きだね。なぜって? よくある風景でしょ。僕のコントって “こんなのあるある” っていうのを誇張して見せるのが基本だから。だから今もクラブに行ったりすると、トイレの酔っ払いを観察するんですよ」
40年以上、お笑い界の第一線を走り続け、「コントの神様」と呼ばれてきた志村さん。本誌には「舞台でウケる快感って立った人じゃないとわからない。ある意味、お酒以上だね」との言葉を残していた。
加藤のTwitterへのコメントをはじめ、ネット上ではいまだに “志村ロス” の声が多く寄せられている。
《もう三年ですか……「死ぬワケねーだろオマエっ!!」って何もなかったかのようにテレビに出てくるのではと今でも思っています》
《今でも志村けんさんが天国にいるという実感がありません。この前のドリフを見て大笑いしました》
志村さんのお笑いは、いまもみんなの心に残り続けている――。