──深作欣二はどうしてそこまで山本太郎にこだわったのか?
山本: どうしてかは聞きそびれました。今、考えると、リアルな10代、本当の中学生では出せない部分を、ちょっと上の年齢になるけれども、僕なら出来るんじゃないか、と見てくださったのかも知れません。
お金を払わないといけない現場
──深作欣二と脚本の深作健太は、山本太郎のために「川田章吾」の役を膨らませた。川田は、かつてサバイバルゲームを勝ち抜き、その戦いで最愛の彼女に裏切られ、失ったことで心に傷を負う。登場人物の中でもっとも陰翳が濃い人物を深作は山本に演じさせた。
山本: 撮影に入ったとたん、「これはお金を払わなきゃならないレベルの現場だ」と襟を正しました。自分だけじゃなく、ほかの役者に対しての深作さんのダメ出しや指導の内容が全部勉強になるんです。
たとえば、教室を占拠した兵士たちが騒ぐ生徒に対し銃を乱射するシーン。何回テストを繰り返しても、生徒たちのリアクションに緊張感が足りない。そんなとき、深作さんがいきなり机を持ち上げて生徒たちの目の前の床に叩きつけた。若い生徒たちは何が起こったのか理解できず、慌てふためいた。深作さんがそんな生徒たちを指さし、「いまの表情だ!」。それでみんなが「これなのか」と納得できたんです。
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そんなふうに役者の力を高めるための具体的・実践的な指導が毎日行われました。深作さんは抽象的なことは一切おっしゃらない。役者の演技が及第点に届くために何が必要かを、作り手側の意図をしっかりと把握させたうえで、具体的な言葉で語る。
たとえば、断崖の上で、僕と藤原竜也と前田亜季の三人が話している場面をロングショットで撮っているとき、僕らが一生懸命に気持ちを作って芝居をしていると、深作さんが近づいてきて、「いまはこれくらいの画角で撮っている。引きの画では、こまかな芝居をしても気持ちは伝わらない。立ち止まったり、膝をついたり、全身の動きで表現してくれ」と実によく分かるテクニカルな指導をなさった。
それに、深作さんは柔軟で合理的なんです。ある朝、長いシーンのセリフの大幅な改定稿が届いて、セリフは何とか覚えて言えましたが、気持ちが入らず、何回もNGを出してしまった。そのとき深作さんが即座に「カンペだ!」っておっしゃって、カンニングペーパー作るぞ、と大きい紙にセリフを書かせ、「太郎君。セットのどこに貼ってほしい?」。カンペなんてセリフ覚えが悪い役者だけが使うものだと思っていた僕が屈辱を感じていると、深作さんはそれに気づいて、「太郎くん、恥ずかしがるな。丹波哲郎だってこれを使ってたんや」(笑)。実際、カンペを見ながら芝居したら、セリフにとらわれず、気持ちがスムーズに入っていくんです。それで調子に乗ってずっとカンペを見ながらやっていたら、「おーい、男子5番、オールカンニングか」って言われて、「ですよね」みたいな(笑)。
撮影の途中、それまで撮ったラッシュを見るスタッフ向けの試写があったんですが、深作さんは役者全員をそこへ呼んでくれました。「いま自分たちは何を作ろうとしているのか」「あそこで撮ったカットにはどんな意味があるのか」を役者にも共有させ、一緒に映画を作ろうとされていた。僕にとって、こんなに開かれた映画作りは初めてで、こんなに役者にフェアな監督はほかにいませんでした。本当にこの現場が永遠に続けばいいのにと思っていました。
完成した作品を観終えたあと、興奮してしばらく何もしゃべれませんでした。15歳で水戸の空襲に遭い、仲間を失った深作さんが描いた渾身の反戦映画だと心が震えました。
「バトル」の連中は一生の教え子
──実は深作欣二は「バトル・ロワイアル」のあと、もう一度、山本太郎を自作に起用しようとした。
山本: 「バトル」と「バトル・ロワイアルⅡ[鎮魂歌]」(03)の間に、『愛と幻想のファシズム』(村上龍の小説)と『ザ・ワールド・イズ・マイン』(新井英樹の漫画)の映画化を深作さんと(深作)健太さんが企画されました。深作さんに「主演は藤原竜也で、太郎くんにはおいしい役を演ってもらう」と言われ、楽しみにしていたんですが、9・11の影響もあって実現しませんでした。そのあとの「バトルⅡ」も、深作さんは僕のためにある役を書いてくださったんですが、全体から見るとどうしても必要な役とは思えず、お話し合いの上でお断りしました。
──「バトル・ロワイアル」の完成後、深作欣二は銀座の東映本社や築地のがんセンターの行き帰りに、当時、山本が住んでいた江東区枝川町のマンションにたびたび立ち寄った。枝川町はかつて深作が「狼と豚と人間」(64)、「解散式」(67)、「血染の代紋」(70)でギャングやヤクザが生まれ落ちた場所として描き、ロケしたところで、東京で最大の在日コリアンの集住区だった。
山本: そんな土地とはつゆ知らず、めちゃめちゃ家賃が安いので枝川町に住んでいると、そこへ深作さんが訪ねてきてくださいました。一緒にご飯を食べ、お風呂で背中を流し、打ち合わせの合間には昼寝もしていかれました。
来られるたびに、しだいにがんの病状が進行していくことが分かりました。ある日、枝川町から深作さんのご自宅(成城学園)までお送りする車中で、深作さんがぽつんとつぶやかれました。「俺はもう長くないことは分かっている。この先、『バトル』のクラスメイトたちの中で、万一、ヤクに手をつけたり、道を踏みはずしそうになるやつがいたら、太郎くんが軌道修正してやってくれ」。そう頼まれたんです。もう自分が余命いくばくもない。その上、今からまた映画を撮らなきゃならない状況にあるのに、最期まで役者みんなのことを心配し続けておられた。「バトル」で使った連中というのは、撮影のときだけではなくて、まさに本当の自分の一生の教え子っていうふうに思われていたんですね。深作さんはそんなふうに、僕だけじゃなく、キャストもスタッフも、メインだろうがサブであろうが、分け隔てなく接した。人に対してものすごく愛情の深い人でした。
それに、社会の底辺でもがき苦しむ人たちに光を与える映画を撮り続けた深作監督と出会えたことが、間違いなく僕のその後に繋がってるように思います。あれからしんどいことがあるたびに、「バトル・ロワイアル」の最後の字幕を思い出すんですよ。「走れ。」。あの一言に僕はいまでもお尻を叩かれています(笑)。
──そう語る山本の姿は、兵器製造企業の武器密輸を命懸けで暴こうとした「誇り高き挑戦」の業界紙記者、鶴田浩二のあの横顔と、どこか重なり合うように思えた。

取材・文=伊藤彰彦 制作=キネマ旬報社(キネマ旬報2023年4月上旬号より転載)
山本太郎[俳優・参議院議員]
やまもと・たろう:1974年生まれ、兵庫県出身。91年、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」に出場し、芸能界入り。俳優、タレントとして数々の映画やドラマ、バラエティに出演。主な映画出演作に「バトル・ロワイアル」(00)、「光の雨」「GO」(01)、「ゲロッパ!」(03)など。2011年、東日本大震災を機に反原発運動を開始。13年、参議院議員選挙に出馬し当選。19年、「れいわ新選組」を旗あげ。政治家として原発問題をはじめTPP問題、労働問題、社会保障制度改革など幅広く活動中。著書に『山本太郎 闘いの原点-ひとり舞台』(ちくま文庫)など。

深作欣二
ふかさく・きんじ:1930年生まれ、茨城県出身。53年、東映に入社。「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」(61)で監督デビュー。67年からはフリーとして東映、松竹、東宝、大映などでも活躍。73年から始まった「仁義なき戦い」シリーズは大ヒットを記録。同作を筆頭とする実録ヤクザ映画、現代アクションをはじめ、SF、時代劇大作、伝奇物、文芸物など幅広いジャンルの娯楽作品を手掛ける。実質的な遺作となった「バトル・ロワイアル」(00)まで、生涯に手掛けた長篇劇場映画は全60作。2003年、ガンのため死去。享年72。 ©東映 ©キネマ旬報社

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【没後20年総力特集 映画監督 深作欣二 Vol.4】
2023年4月放送予定
●バトル・ロワイアル 4Kリマスター版[R15+]
5日(水)20:00-22:00、18日(火)22:00-24:00、27日(木)12:00-14:00
●柳生一族の陰謀 4Kリマスター版
4日(火)20:00-22:30、11日(火)12:30-15:00、24日(月)12:00-14:30
●赤穂城断絶
7日(金)20:00-23:00、16日(日)14:00-17:00、25日(火)12:00-14:50
●バトル・ロワイアルⅡ【特別篇】REVENGE[R15+]
6日(木)20:00-22:50、19日(水)22:00-25:00、28日(金)12:00-14:50
●宇宙からのメッセージ
9日(日)20:00-21:50、20日(木)22:00-24:00、26日(水)12:00-14:00
●ガンマー第3号 宇宙大作戦
8日(土)20:00-21:30、15日(土)22:00-23:30、29日(土)12:00-13:30