――「追想ジャーニー」の主人公は18歳のときからスターを夢見ていて、48歳の今も役者を続けています。谷監督自身、やはり若いころから映画監督を目指していたのですか。
谷 小さいころは「グーニーズ」(1985年/リチャード・ドナー監督)などハリウッド作品を好んで見ていましたが、中学は陸上、高校はサッカーと部活動に夢中で、全くといっていいほど見てなかったですね。生まれ育った京都府から山口県の大学に進んだのですが、そこでもサッカーを続けていて、将来はスポーツ関係の仕事にと思っていました。でもやっぱり無理だなとなって、それで何か映画関係の仕事をしたいという漠然とした思いで上京しました。当時見た「パルプ・フィクション」(1994年/クエンティン・タランティーノ監督)がめちゃくちゃ面白くて、こういう映画もあるんだ、と映画が大好きになっていたんです。
でも映画業界に入ると言っても簡単なことではない。技術も何もないし、自主映画の手伝いやエキストラに参加するくらいで、ふらふらしていました。で、25歳のとき、さすがにちゃんと就職しました。
――その仕事の傍ら自主映画を撮るようになっていったのは、どういうきっかけですか。
谷 30歳のころ、ようやくまともな生活ができるようになって、そう言えば東京に何しに来たんだろうと思ったんです。そうだ、映画を作ろうとしたんだ、と思い出して、多少はお金に余裕があったので「コンティニュー」という短篇を撮りました。全くの自己流でしたが、それが黒澤明記念ショートフィルム・コンペティションにノミネートされるなどいいところまでいった。何だか楽しいなと思って、何本か短篇を撮った後、37歳くらいのときに初の長篇の「リュウセイ」を発表しました。このままサラリーマンをしながら2~3年に1本くらい映画を撮ることもできたのですが、何となく消化不良だなと思って会社を辞めて、独立して、といった感じです。
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ただ映画のことなんか何も勉強していないですからね。自主映画を手伝ったことがある程度で、専門学校も大学も行っていないし、助監督もやっていない。すべて我流です。人生、甘く見ているので、これくらい撮れるんじゃないかなと思っていたんです。
多分、監督というのは、人生勉強をして人間に厚みが出れば誰でもできる。スタッフとキャストが優秀であれば、自然とできるはずで、そこに気を遣うことができるかどうかが生命線なんだと思います。映画が10とすると、0から1にするのが僕で、後は脚本家をはじめとしたいろんな人と話し合って作っていくといった感じです。
岐路に立った“映画”という表現形態に向き合う――その後、映画だけでなくミュージックビデオや舞台の演出、映画雑誌『cinefil BOOK』の創刊と幅広く活動していますね。
谷 基本は面白そうな仕事が来たらやっているというだけで、営業もほとんどしたことがない。モチベーションとしてはお金を稼がないといけないので、今は手を変え品を変え、時代にどうマッチしていくかということを念頭にやっています。
映画は現在、2本ほど待機作があるのですが、これまでの実績から、普通に映画が撮れるというブランディングはできている気がします。映画でブランディングがきちんとできれば、ほかの仕事も舞い込んでくる。映画を営業ツールに業界をうまく渡っていきたいという思いが、ちょっとはありますね。
――映画という表現形態は岐路に立っているという認識でしょうか。
谷 映画への特別な思いは、僕らの世代にはまだあるけれど、今の10代、20代にはもうないと思う。家にそれなりに大きなテレビはあるし、YouTubeやTikTokなどの短い動画に慣れた若い子は2時間も我慢できない。
さまざまなエンタメコンテンツがある中、一部の大作を除いて映画はエンタメとしてマイナーな部類に振り分けられるようになってきていると感じます。
――でも谷監督が「パルプ・フィクション」に感銘を受けたように、今の若い人も映画体験で刺激を得ることは大切なのではないですか。
谷 例えばそれってアニメでいいんじゃないでしょうか。アニメはものすごく成長しているけれど、映画はそんなに成長していない。かつての若者が感動していた対象が、ミニシアター系の映画から別のものに移り変わってきたんだと思います。でも映画の魅力に取りつかれた我々は我々で出来ることをやるしかないとも思っています。
――その谷監督が信じていると言う映画の魅力とは何なのでしょう。
谷 目で見て、耳で聞いて、頭で考えて、という物語を伴った総合芸術としては、映画以上のものはもう現れないと思います。また劇場の大きなスクリーンでひとつの物語を共有するという空気感も何事にも代えられないものだと信じています。
しかし、今の時代、映画とは、と大上段から振りかぶるのではなくて若い子に合わせるような作品も必要だし、撮影方法や宣伝方法も工夫していかなければならない。臨機応変に今をうまく生き抜くことがもっとも重要な気がしていて、試行錯誤する時代なんだと思う。自分自身、映画があることで意味のある人生になったし、今でも十分に感謝している。今後、その映画に少しでも恩返しできたらうれしいと思います。
――「追想ジャーニー」は、まだまだ今後も視聴する機会がありそうですね。
谷 3月25日から東京・渋谷のユーロスペースで公開されるほか、3月27日には高崎映画祭でも上映されます。また4月1日からはU-NEXTで独占配信の予定です。この作品は映画館じゃないと、と構えて見るような映画ではなく、何も考えずに見て普通に面白いと思うので、ぜひ配信で気軽に見てほしいなと願っています。
取材・文=藤井克郎 制作=キネマ旬報社
谷健二(たに・けんじ):1976年生まれ、京都府出身。大学でデザインを専攻した後、上京して自主映画の制作に携わる。その後、広告代理店に勤め、自動車会社のウェブマーケティングを約9年間にわたって担当。2014年、長篇映画「リュウセイ」を監督したのを機に独立し、現在は映画だけでなくテレビドラマやCM、舞台の演出、映画本の出版と多方面で活躍する。主な作品は映画「U-31」(16)「一人の息子」(18)、舞台『ハイスクール・ハイ・ライフ』(22)『政見放送』(22)など。雑誌『cinefil BOOK』の編集長も務める。

●4月1日よりU-NEXTにて独占配信
●上映情報
3月25日(土)~31日(金)ユーロスペースにて凱旋上映
3月27日(月)19:00~ 高崎映画祭にて上映(高崎芸術劇場)
公式サイトはこちら
●2022年/日本/66分
●監督:谷健二
●脚本:竹田新
●撮影:今井哲郎
●出演:藤原大祐、高橋和也、佐津川愛美、真凛 、髙石あかり、岡本莉音、伊礼姫奈、外山誠二、赤間麻里子、根本正勝、設楽銀河
配給:セブンフィルム
©『追想ジャーニー』製作委員会