
「旅」のほか、家族のこと、幼き日の思い出、趣味の読書について言及し、未来に思いを馳せる。自由な形式で伸びやかに綴られた随筆書。※本記事は、吉田昭雄氏の書籍『旅に遊んで』(幻冬舎ルネッサンス)より、一部抜粋・編集したものです。
第一章 旅
奈良井に遊んで
奈良井千軒と言われ、今日でも老若男女から多くの熱視線が注がれる人気スポットの奈良井。中山道六十九次の江戸側から三十四番目の宿場町を二十年ぶりにまた一人で訪れてみた。
令和三年十月朝、中山道発見の旅。岐阜市の我が家を出発、岐阜駅に向かう。天気晴朗絶好の旅日和だ。
「秋は喨喨と 空は水色 鳥が飛び 魂いななき 清浄の水こころに流れ こころ眼を開け童子となる」
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旅立ちのプレリュードとして高村光太郎の詩を口ずさみ、心は弾んだ。青春時代の躓(つまづ)きに心の癒しを求めて訪れた彼の地へと再び向かう。
一人旅にロマンを求め、沈みつつある肉体を奮い立たせ青春の面影を追いかけてローカル線に乗った。
車窓は流れゆく。この田園風景は在りし日の景観を異次元に上書きすることはない。昭和、平成と重なる風景は時代から取り残され、更には明治の色合いが溢れる旅情が漂っていた。在りし日はこの田園風景を予言していた。彼方に無人の田に刈られたはざに二段の稲が掛けられていた。二十年前とは見えるものと見えてくるものが違っている。競争社会から身を退き、家族を守り、自身の夢を追い、挫折からも立ち上がり、前進を続けてきた。
車窓は明日への英気への橋渡しだ。周囲の人々を思い浮かべる余地はない。
多治見到着。乗り換えである。中津川行の発車まで四十分以上ある。ホームの片隅に蕎麦屋があった。旅の駅の立ち食いはとにかく旨い。不思議だ。味というものは気分によるものかもしれない。ズルズルと蕎麦を頬張り続けた。
電車を乗り換える。定刻通りの発車だ。