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【芸能人クルマ伝説】田中美佐子が関越道を爆走、薬師丸ひろ子は国産セダンを改造していた

アサ芸プラス

 筆者は芸能人やスポーツ選手との付き合いが多いが、彼らはテレビで見る印象と、実生活の言動がまったく異なっている場合が珍しくない。大人しいと思っていたら饒舌だったり、お笑い芸人なのに普段は無口という者もいる。

 普段から車を運転している有名人は大勢いるが、その中でも記憶に残る有名人といえば、高島政宏だ。

 彼の車を何度か尾行したことがある。しかし、必ず途中で尾行に気付かれてしまうのだ。私の尾行が決して下手というわけではなく、彼の注意力が尋常ではないということなのだろう。100%気付かれてしまうのは彼ぐらいなものだった。

 一方、弟の政伸は兄と正反対で、自宅からどこに行こうが、一度も気付かれたことはない。1時間近くも追いかけて、自宅から向かった先が練馬区の大泉撮影所だった、というガッカリな思い出もある。

 全盛期の沢田研二は、各社の車が複数台で追跡することが多かった。ジュリーの事務所は決まって2台の車を出し、1台目にジュリーを乗せて走る。その後を各社の車が追いかける形だ。ところが、一方通行の細い通りに入ると、後ろの車がそこで停車してしまう。こうして時間稼ぎをする間にジュリーを逃す、というのが常であった。

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 ホテルの地下駐車場に入った時も、この方法が使われた。後ろの車が入り口で停車している間にジュリーの車は出口に向かい、どこかに走り去っていくのである。結果、ジュリーの追跡を諦めることが少なくなかった。

 自ら運転してスタジオに来る女優は少ないが、田中美佐子は運転するのが大好きなタイプである。ある時、狙っている女優が来なかったので、暇つぶしに彼女の車を追ったことがあった。すると、車は関越自動車道に入って、ビュンビュン飛ばしていくではないか。こちらも振り切られないように飛ばしていくが、それでも差をつけられそうなスピードだったので、慌ててしまった。

「どこまで行く気なんだろう」と、助手席のカメラマンと話をしていると、所沢インターで降りた。だが、どうも目的地が定まっていないか、わからないようで、道端に停車したり、走り出したりする。そのうちに再び所沢インターに戻り、東京方向へ向かった。また猛スピードで走り出すと思ったが、今度は左車線をノロノロと走っている。しょうがないので彼女の車を追い越して、一定のスピードで走っていたら、パッシングした彼女の車がこっちの車と並走し出したのだ。完全にバレていたのか、白い歯を見せて運転席で笑っている彼女は、手を振って走り去って行ったのであった。

 世田谷区内の国道246号線近くで張り込みをしていたのは、8年ほど前のことだった。

「薬師丸ひろ子が男性と一緒に暮らしている」

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