
「宣戦布告なき卑怯な騙し討ち」と不当に非難され、リメンバー・パール・ハーバーの合言葉とともに、歴史に刻まれた真珠湾攻撃。その陰で繰り広げられた「覚書の手渡し遅延」のドタバタ劇もそのひとつ。この事件の本当の原因は何だったのか。その責任はどこにあったのか。責任を取った人はいたのか。※本記事は、坂田憲治氏の小説『「柴犬回想記」真珠湾の静寂vsワシントンD.C.の喧噪』(幻冬舎ルネッサンス)より、一部抜粋・編集したものです。
第一部 日本とアメリカ―対立—
プロローグ
いきなりタイムトンネルに乗せられて八十年前の世界に案内されてはさすがの読者の皆さんも困惑されるかもしれない。
そこで、詳細な歴史の流れについては近現代史ご専門の先生方と膨大な学術研究書にお任せして、ここではタイムトンネルに乗る前に第一次世界大戦後から日米が開戦に至る時期の世界の状況、特に米国、日本を取り巻く大まかな世界の動きをざっくりと眺めておくことにしたい。
第一次世界大戦とその後
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一九一四年に勃発した第一次世界大戦。それ以前の戦争や紛争とは桁違いの爪痕を残した。主な点を挙げてみよう。
一 局地戦が総力戦に。多数の国が二つの陣営に分かれて対決。
二 飛行機、自動車、戦車、潜水艦、毒ガスなど軍事・機械技術の著しい進歩と新兵器の登場。
三 戦場となった欧州列強国の疲弊と彼らの帝国主義・植民地政策の終焉。数百年間続いたオスマン・トルコ帝国やハプスブルク帝国の崩壊と民族の独立。
四 “眠れる獅子”支那の目覚め。
五 新興国日本の急速台頭。戦後五大国の仲間入りとパリ講和会議の常任理事国入り。軍部の膨張。陸軍はロシアを、海軍はアメリカを仮想敵国に。