この事件を映画化したのが『Winny』(公開中)。『ぜんぶ、ボクのせい』(22)で商業映画デビューした松本優作監督のもと、主人公の金子を東出昌大、サイバー犯罪に詳しい弁護士、壇俊光を三浦貴大が演じ、警察や検察の圧力、苛烈なマスコミ報道にもさらされながら裁判に臨む姿が描かれていく。
あるツールが犯罪に使用されるとその開発者にも罪があるのか?そして、金子の逮捕は日本の技術発展を妨げてしまったのではないのか?そんな痛烈なメッセージを問いかける本作をより深く理解するため、オブジェクト指向スクリプト言語「Ruby」の開発者として知られる日本を代表するプログラマー、まつもとゆきひろへのインタビューを実施。事件当時は報道などでその行方を見守っていたというまつもとに、金子が逮捕されてしまったことの理不尽さや同じプログラマーとしての危機感、組織の怖さについても語ってもらった。
■「プログラマーは人間を相手にしている割合が多い仕事」
――映画『Winny』への理解を深めるにあたり、まずはまつもとさんをはじめプログラマーの方々がどういったお仕事をされているかをお聞きしたいです。
「現在はスマートフォンなどの普及もあり、日常的にコンピュータが使用されていますが、実際には機械だけでは動くことはできません。そこで、例えばiOSやAndroidといったOSや、アプリやゲームといったソフトウェアで、人間が動き方を機械に教えることが必要になります。
そのうえで定義は広いのですが、ソフトウェアを作りだすためにありとあらゆる工程を担う人を、私はプログラマーと呼んでいます。そして、『Winny』の開発において金子さんは、誰かの指示で動いていたわけではなく、設計から運用にいたるすべてを一人で行っていました」
――現代社会ではなくてはならない存在ですね。
「そうですね。ただ、プログラマーとしての仕事以前に、そもそも『ソフトウェアを作る』ということをきちんと理解いただいていないなという認識もあります。おそらく皆さんは、プログラマーは一日中コンピュータに向き合って、なにかを入力し続けているようなイメージを持たれていると思うのですが、プログラマーの仕事で一番大事なことは、それぞれのプログラムでなにをするのか、どんな問題を解決したいのかを決めることです。
『Winny』のなかでも描かれていましたが、生じる問題をどのように解決するかを日々考え続けないといけないので、問題を抱えている利用者との対話や理解も大事なんです。実は人間を相手にしている割合が多い仕事と言えます」
■「ソフトウェア開発の自由が奪われてしまうのは忌み嫌うべきこと」
――「Winny」や金子勇さんを題材にした映画があると聞いて、どのような印象を受けましたか。
「事件からずいぶん時間が過ぎてしまったいま、この事件を取り上げることにどのような意味があるのだろう?と思いました。ただ、一連の出来事を丁寧に描いてくれるのなら、プログラマーについての(上記のような)誤解が減ることに役立つかもしれないという期待感はありました」
――実際に作品をご覧になられていかがでしたか。
「逮捕された金子さんが、保釈後もパソコンに触れることを禁じられてしまうところは、同じプログラマーとしてもつらいシーンでした。プログラマーからプログラミングを奪うことほど残酷なことはないと思います」
――劇中で金子さんが「パソコンが使えればまだまだ改善できるんだ」と言っている姿は印象的でした。
「私自身、オープンソースソフトウェア(開発者がソースコードを無償公開し、自由に利用や改変することが許可されているソフトウェア)といった自由を重要視する活動をしてきたこともあり、組織的な圧力によってソフトウェア開発の自由が奪われてしまうのは忌み嫌うべきことだと考えています。しかも、そのようなことが現実に起きてしまったことに、事件当時も作品を観ている間もとても憤りを感じました。
劇中でも、壇弁護士が包丁を例えに出して、『殺人に使われた時に作った職人も逮捕されますか?』と言っていたのはまさにその通りで、著作権違反幇助で金子さんが逮捕されてしまったのは本当に理不尽なことだと思います」
■「登場人物の方々には金子さんのようなプログラマーへの理解がまだ足りない」
――金子さんを演じた東出昌大さん、壇弁護士を演じた三浦貴大らキャストの方々の演技はどのように映りましたか。
「金子さんとは共通の知人はいたのですが、結局、お会いすることができないままお亡くなりになられました(2011年に無罪判決を勝ち取ったのち、2013年に42歳で死去)。なので、ご本人に似ているかはわからないのですが、東出さんは非常に自然な演技をされていて、きっと金子さんはこんな雰囲気だったんだろうなと思いました」
――弁護団の方々、特に壇弁護士の存在はとても頼もしく映りました。
「金子さんの立場からすると、社会全体に糾弾されるなかで壇弁護士の助けは非常に心強かったと思います。私自身を含めてプログラマーは法律に詳しいとは言えないので、劇中の金子さんのように、取り調べ中に誘導されて(自身にとって不利になる)書類にサインしてしまうこともありえないとは言えません。ただ、壇さんをはじめ、登場人物の方々には金子さんのようなプログラマーへの理解が、まだまだ足りないとも感じました」
――プログラミングを取り上げられると生きる術さえも失ってしまう、プログラマーの性質のようなことでしょうか。
「例えるなら、金子さんが『レインマン』の主人公のように映りました。ダスティン・ホフマンが演じたレイモンドはサヴァン症候群という設定で、あくまで別物ですが。すごい能力を持っていることは認識されているのですが、やはり異質なものとして見られています。プログラマーをそれと同じような異物として見る視線を、警察や検察、裁判官だけでなく、チームとして関係を築いていた弁護団側からも感じる部分がありました。プログラマーという生き方を理解してもらうのは、やはり難しいことなのかもしれません」
■「金子さんが作りだしていたかもしれない多くの技術を私たちは失ってしまったのかもしれない」
――事件当時、「Winny」はどのようなところが革新的だったのでしょうか。
「『Winny』はPeer-to-Peer、いわゆるP2Pという技術を応用したファイル共有ソフトです。これはネットワークにつながれた不特定多数の端末が、サーバーを介さずに端末同士で直接データファイルを共有できる技術で、当時も同様のソフトウェアは世界中にあったのですが、中心になるサーバーをまったく持たないという意味では、すこしユニークな技術だったのかもしれません。そういう技術的な意味を含めて、日本のドメスティックなものとしては、価値のあるものだったという認識です」
――劇中にはYouTubeが普及し始めていたことにも言及されていましたが、「Winny」が将来的にこれらに代わるサービスになった可能性はあったのでしょうか。
「一連の報道もあって、P2Pという技術が日本でネガティブなイメージを持たれ、そのまま誤解を正すことはできず、テクノロジーの発展を阻害してしまいました。もしものことなので断言はできませんが、新しいサービスになり得た可能性はあったと言えるでしょう。ただ金子さん自身は、映画にも出てきたフライトシミュレーターや格闘ゲームのようなシミュレーション環境を専門にしていて、『Winny』のようなネットワークの分野は、もともとは専門外であったが、試しにやってみたらできてしまったという経緯もあるみたいです。
なので、逮捕されていなければ、いずれ『Winny』に飽きて別のことに取り組んでいた現在もありえます。金子さんは逮捕から約7年かけて無実を勝ち取りますが、その約2年後に亡くなってしまいます。P2Pに限らず彼が新たに作り出していただろう多くの技術を、私たちは失ってしまったのかもしれないですね」
■「国家権力に理解いただけない怖さのようなものはあります」
――「Winny」事件を踏まえて、私たちに求められるユーザーリテラシーはどのようなことだと思いますか。
「『Winny』は違法な使われ方をしましたが、問題があったのは必ずしもユーザーリテラシーだけではなかったのではないでしょうか。むしろ当時のメディアが、これを使えば無料でダウンロードできてしまうと煽る形で報道してしまったことや、警察、検察、裁判所の対応に責任はあると思います。
特に後者ですが、民間感覚というか専門家を交えた判断をしてほしいなと思います。劇中では『Winny』のネットワークを追跡して、違法アップロードした人を見つけだしていたので、テクノロジーに関する知識や技術がまったくないわけではないはずなのですが…」
――調査をしたり、裁く側にも相当の理解が必要ということですね。
「ソフトウェアのような専門的な分野だと特に矛盾がない判断が必要なのですが、国家権力に理解いただけない怖さのようなものはありますね。実際に『Ruby』で『トロイの木馬』を作った人はいました。私に責任が及ぶようなことはありませんでしたが、金子さんと同じ目に遭う可能性はゼロではないわけで…。そうなれば、『Ruby』の評価も急落しますし、何十年もかけて作った努力や成果もチャラになってしまうと想像するだけで、すごく恐ろしいです」
■「組織のために人間の尊厳を奪っていないだろうか?と振り返る重要性」
――お話を伺い「Winny」事件に関する理不尽さを痛感させられました。本作をご覧になる方にはどのようなものを感じ取ってもらいたいですか。
「エンタテインメントですからね。観る人それぞれが自由な感想を持っていいと思います。ただ、あえて言うなら、この作品では警察ジャーナリストの仙波敏郎さんが(警官時代に)愛媛県警による裏金作りを告発した事件も並行して描かれていましたが、おそらく脚本の意図としては組織の怖さみたいなものを表現したかったんだと考えています。組織に属していると組織自体の面子や保身のために、時として超えてはならないラインを踏み越えてしまうこともあるんだというメッセージです。警察だけじゃないのですが、私たち個人の多くが組織の中で生きているなかで、『組織のために人間の尊厳を奪っていないだろうか?』と振り返る重要性の気づきを与えてくれると思います」
取材・文/平尾嘉浩