
清掃員、ゴミの収集員、宅配便の配送員、スーパーやコンビニのスタッフ…。イギリスのこうしたエッシェンシャルワーカーたちに起こっている現実を知っているでしょうか? 先進国で最も賃金が上がらない国、日本は今後、どうなっていくのか──。浜矩子氏の著書『人が働くのはお金のためか』(青春出版社)から、一部抜粋して紹介します。
哀しき「自由な槍」たちの“終着点”
「ギグワーカー行き着く先はプレカリアート」。こんな字余り川柳ができてしまいそうだ。プレカリアートは、英語でprecariatである。プレケアリアス(precarious:危うい・不安定・一寸先は闇)と、プロレタリアート(proletariat)を合体させた造語だ。
1980年代から存在する用語だが、哀しき「自由な槍」たちが増える中で、改めて多用されるようになっている。
話題を呼んだ著作、『7つの階級英国階級調査報告』(マイク・サヴィジ著、東洋経済新報社、2019年)によれば、今日の英国社会を構成する7つの階級の中で、最下層の位置づけに追いやられているのが、このプレカリアートだ。どん底労働者たちである。
明日の我が身はどうなるか。皆目、見当がつかない。だが、だからこそ、必死でその場限りの単発仕事にしがみつくほかはない。どんな労働条件も受け入れるほかはない。どんな長時間労働にも耐えなければならない。極貧労働者。それがプレカリアートだ。
イギリスで増える極貧労働者。その多くがエッセンシャルワーカー
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新型コロナウイルス感染症が蔓延したことで、現代イギリスのプレカリアート層は、一段と拡大してしまっているそうだ。さらに問題なのは、プレカリアートの多くが、実はエッセンシャルワーカーだということだ。
清掃員さん、ゴミの収集員さん、宅配便の配送員さん、スーパーやコンビニのスタッフの皆さん。彼らは、コロナ襲来の中でも、家で巣ごもりするわけにいかなかった。オンラインで仕事をするわけにもいかない。
世のため人のため、社会的ニーズに応じて出掛けていかなければならない。命がけで外に出なくてはいけない。パンデミックの中でも、世の中が支障なく回っていくために、彼らは働き続けていた。
我が身の安全を度外視してでも、リアルな勤務につかなければいけない。そのことに、果敢に挑んできた。このような人々が、明日の我が身に見通しのつかないプレカリアート層に追い込まれている。
これは何たることか。彼らはプレケアリアスどころか、プレシャス(precious:貴重な)扱いされるべきだ。だが、実態はそうではない。
日本は今後どうなっていくのか
ここで思い出すのが、本書で取り上げた参考文献の一つ、『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』だ。この中には、エッセンシャルワーカーたちがその仕事に値する報酬を得ていないという指摘があり、それにレビュアーたちが敏感に反応していた。