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WBC 日本野球はなぜ強い? 「肉体的優劣の少なさ」と「科学と論理の進化と普及」

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 という理由を考えることもできるが、それは日本も同じだし、キューバなんかは当時も今もよく似た構造でチームを編成している。

 すると、少し考えてしまう。

 「どうして、日本野球はさまざまな競技が世界にある中で、世界トップであり続けられるのだろう?」

 ここでは、その理由を考えてみたい。

■野球はフルコンタクトのスポーツでない

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 スポーツの世界大会といえば、サッカーのワールドカップを思い浮かべる人は多いだろう。長くそれを見てきた人には、Jリーグができた1990年代に代表チームがワールドカップをめざし、それでもかなわなかった苦闘の歴史を思い出すことも多い。

 世界との間に大きな壁があったのは、間違いない事実だろう。

 でも、野球はそんな時代にあっても、世界で通用していた。不思議に感じて、オリンピックチームの経験者ら数人に聞いてみたことがある。

 日本は野球が特別に盛んだから、というものが多く、たしかにそれは大きな理由だと思う。でも、それだけで勝てるほど、スポーツの世界は甘くない気もする。

 すると、「なるほど」と感じる理由を話してくれた人がいる。

 「野球はコンタクトの少ないスポーツですからね。ボールという道具をバットという道具で打ち返す。肉体がコンタクトする機会は、走者と野手の間くらいしかない」

 これは大きな理由だろう。

 基本的にスポーツというのは、肉体がぶつかり合うほどに体格差が如実に結果につながる。だから、肉体をぶつけ合う格闘技は基本的に体重別となっている。そうしないと、競技として成立しにくい。

 体重別でない相撲という例もあるが、やはり、大型力士を小兵タイプが倒すのは至難であり、それを成すには鍛錬と技術、駆け引きが必要で、さらに相手を上回る俊敏性(アジリティ)が要求される。

 だから、体重別でないラグビー、アメリカン・フットボールなどのフルコンタクト・スポーツにおいては、対格差を逆転するのが難しい。ラグビー日本代表が起こすジャイアントキリングは、小兵力士のそれと同じく、鍛錬や駆け引きを総動員して生まれる。

 サッカーの場合は、野球と同じリミテッドコンタクトのカテゴリーに入る。肉体のぶつかり合いは限定的だ。だが、野球に比べて肉体がぶつかる機会は多く、コーナーキックなどのゴール前では、その対格差がもろに出る。バットのような道具も使わない。

 だから、サッカー関係者の多くは、世界と戦うために俊敏性の重要性を説く。東洋系選手の突破口は、そこだと認識しているからだ。

 野球の場合は、そのようなコンタクトがない。速いボールを投げるには、もちろん体格のよさも影響するが、手先を離れてしまえば、それは150gに満たない、ただのボールでしかない。しかも、18.44mも離れた先でそれをバットで打つ。バットを振るにも体格は関係するが、技術で補える部分も多い。さらに、当たらなければ体格の優位さも具現化しない。

 そして、なかなか当たらないのが野球という競技だ。

 日本野球が世界に通用する理由の大きな理由に、この野球が持つコンタクトの少なさという特性は大きく影響しているだろう。

■科学と論理で進化した日本野球

 野球の持つ特性が日本の選手に合っていたのは大きな理由だが、それだけでは、日本野球のここまでの隆盛はないだろう。

 注目すべきは、科学性、論理性の進化だと感じる。

 かつて、国内スポーツの多くは経験則と精神論が支配する場面が多かった。先輩がやってきたことをお前らもやれ、というイメージだ。もちろん、オリンピックアスリートなどは、合理的にトレーニングし、記録を向上させることはやっていたし、野球のような集団競技でも、それを取り入れる人はいた。

 たとえば、アメリカの元選手で指導者のダニー・リトワイラーによる、『ダニーのベースボール・ドリル294集』(平野裕一翻訳)のような書籍も1980年代前半には翻訳出版されている。ちなみにこのダニーさんは、野球で用いるスピードガンの開発にもかかわった人だ。そういうものを参考に野球をより近代的にしようという考えもあった。

 でも、大部分はそうでなかった。進化よりも伝統や保守性が表に出た。

 しかし、そこに変化が来る。Jリーグが創設され、サッカー界が世界をめざしたことだ。なんとかして進化しようと、海外の理論なども導入するようになる。

 特にトレーニングの分野において、それは顕著だっただろう。技術を身につけるには身体的(フィジカル)部分の強化が必要という考え方も広まった。身心の成長段階を論理的に説明し、ゴールデンエイジ、という子ども時代の重要性も説かれるようになる。

 野球界でも野茂英雄のメジャー移籍と活躍があった。同時にアメリカの理論が国内に導入され、肩の位置を安定させるためには、インナーマッスルのトレーニングも必要という理解などが進む。

 そういう学問を競技に取り入れる選手も増え、現在のダルビッシュ有はその頂点にあるだろう。

 「1990年代以降、オフに休む選手はいなくなった。みんなトレーニングをする。だから、キャンプ序盤からビュンビュン投げるし、振れるんだよ」

 今世紀になってから、あるプロ野球指導者がそう話してくれたのをよくおぼえている。

 そういうトレーニング理論が発展していく中、動作解析の理論も進み、身体の使い方を合理的に説明できるようにもなってくる。

 映像機器の技術的発展と普及で、目に見える形でこれを選手自身が理解できるようにもなった。ピッチャーの腕の角度やバッターの始動のタイミングなど、ポイントが可視化され、それが練習に活用される。

 大谷翔平や佐々木朗希といった逸材は、そういう環境の中を成長し、本人らの自覚と鍛錬によって、今の場所に立っていることになる。

■野球を支える人が多かった日本

 これらの要素に加え、日本は野球が盛んだったという事実も大いに関係しているだろう。昭和から続く国民的アニメでは、主人公たちが学校から帰ると、ランドセルを放り出して野球をしに飛び出す描写が今でもある。

 ある時期まで、あれが普通だったのだ。

 だから、小さなころに野球をする子どもが多かった。子どもも多かったので、その数は膨大で淘汰を繰り返してプロに進む選手は、資質に恵まれた人が多くいた。

 そこに総人口の問題も加わる。同じようにアジアで野球が盛んな韓国は、現在の人口が5160万人ほど。同じく、台湾は2300万人だ。これに対し、日本は1億2570万人いる。 野球のプレーヤーも多ければ、観客も多い。支える人も多い。

 実際、国内の野球関連の書籍などが、そのまま韓国や台湾で翻訳出版されることも多いのだ。韓国や台湾の人口の分母では、野球で一から商品をつくるということが困難であるのかもしれない。

 日本の野球界に科学的視点が普及したことにも、この人口の違いは関係しているはずで、野球に携わる人の多さが、日本野球の強さを支えてきたことは否めないだろう。

 野球界自体が健全であることも発展の大切な要素だと考えている。

 悲しいことに、台湾では20世紀末からプロ野球の賭博事件があり、韓国でも八百長事件があった。両球界にとって、これは大きな痛手となっていて、そこから抜け出す途上にあるというのが現状のようだ。

 そして、日本の野球にも危機は何度もあった。健全性を疑うような事件もある。そんなことが続けば、ファンが離れ、日本球界の発展もなかっただろう。

 でも、日本には野球を支える人も多かった。前を向き、よい未来をつくろうという人々がたくさんいた。そのおかげで今がある。

 残念ながら、野球が発展してきた中、日本社会の少子化は止まることなく続き、野球人口も減っている。それでも、日本野球にこの未来があったのは、野球を愛する人が多くいた過去を持ち、進取の精神と勇気で新世界を切り拓いた人々がいてくれたからだ。

 だから、せめて進化を続けるべきなのだろう。今どき、坊主頭を強制していたら、人なんか集まらないだろうし、ルールももう少しわかりやすくしたい。そういえば、ラーズ・ヌートバーは、高校生まで野球とアメフトの両方をやっていたそうだ。野球と二足のわらじで、別の競技をしていいのかもしれない。

 カツオやのび太が空き地で野球をする世界線は続かなかったけど、いろんな視点と知恵で、野球が発展してくれればと思う。

「イチローと松井秀喜が同じチームにいる日本代表、見たいなあ」

 かつて、取材相手の野球関係者が、そんなことを言っていたのを思い出す。問答無用にうなずいた記憶がある。

 今、それ以上のチームを目にしている。

 もっと見たいと思う。また、こんなチームができてほしいと願ってしまう。

 野球好きだから、こればかりは、どうにもならない。

文=新宮聡

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