なぜ人生は「後半」が不幸になってしまうのか?

人生の前半は、単純な成功法則に従っていることが多い。プライベートを犠牲にして、一心不乱に働き、出世階段を上り続ければ、仕事も人生もうまくいくと考える。その法則は確かに有効だが、永遠に通用するわけではない。実は、人生の後半は別のルールに支配されている。
「人生後半の戦略書 ハーバード大教授が教える人生とキャリアを再構築する方法」(アーサー・C・ブルックス 著、木村千里 翻訳)SBクリエイティブ
プライドを持つことは、いいことなのか?
私たちの人生で、プライドの問題を排除することはできない。プライドについては、いくつか解釈が存在するが、ビジネスであれば賞賛の意味で使用されることが多い。会社の行動規範に「Be Proud」というものがあるが、まさにそれが当てはまる。
しかし、プライドという言葉がこのような意味合いで使われるようになったのは、比較的最近のことだ、と本書では説かれている。むしろ、プライドは人を腐敗させる罪だと解釈している哲学書も少なくないからである。
梵語には「慢」という文字が存在する。これは、自分を高く見て他者を軽視することで、結局は自分を苦しめることを意味する。仏教語で「増上慢」という言葉を耳にすることがあるが、悟りを得ていないのに得たと思念して高ぶった慢心のことと同じ意味である。
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ブライドと同類のものに恐怖心がある。成功依存症の人も大きな恐怖を抱いていることが多い。自分は成功しないといけない、人に勝たないと意味がない――そう思い込んでいる人がいれば、それは成功依存症の可能性が高い。成功依存症の人が恐れているのは、恐怖から派生する失敗である。
失敗を恐れている人たちが、ことを成し遂げてもたいした喜びを感じられず、重大な場面で失態をさらすことを心配する。それは、なんと悲しい皮肉だろう。言い換えれば、価値あるものをつかみ取れる可能性というよりも、しくじる可能性に対する恐怖心である。
社会的地位を得ることの意味とは?
「自分よりも成功している人を見ると負けた気になる」と打ち明ける成功依存症の人は、意外にも、たくさん存在する。しかし、社会的地位を高めても、それだけでは幸福になれないことを歴史は証明している。
お金が欲しいのは必要なものが買えるからで、それ以上の理由はないと成功者は口をそろえるだろう。ダライ・ラマは、「人は1本しか指がないのに20個の指輪を買います。そうやって地位を高めるのが、私たち人間の生来の習性なのです」と説いている。
世俗的な成功を収めて地位を高めたいという願望は、一歩間違えれば、強迫的な情熱へと変貌する。問題は、この種の成功は、すべての依存性物質と同様に、どこまで行っても切りがなく満足に至らないことにある。どれだけ有名になろうと、どれだけ裕福になろうと、どれだけ権力を手に入れようと、満足する人はいないということになる。
マウントをとると、結果的に自分を苦しめる
本書をビジネス社会に置き換えると、会社人生そのものを照射しているように感じてならない。見栄を張る、強がる、マウントを取る――それが、悪いと言っているのではない。このような行動は、結果的に自分を苦しめて、モヤモヤをいっそう募らせるだけなのである。