『エブエブ』の監督を務めたダニエルズことダニエル・クワンとダニエル・シャイナートは、作品賞、監督賞、脚本賞の“ハットトリック”を達成。これは『パラサイト 半地下の家族』(19)のポン・ジュノ以来で、ダニエル・クワンはアジア系で4人目の監督賞受賞となった。また、『エブエブ』プロデューサーのジョナサン・ワン、ダニエル・クワン(作品賞、監督賞、脚本賞)、ミシェル・ヨー(主演女優賞)、キー・ホイ・クァン(助演男優賞)のほか、短編ドキュメンタリー賞のカルティキ・ゴンサルヴェス監督(『エレファント・ウィスパラー:聖なる象との絆』)、歌曲賞のM.M.キーラヴァーニとチャンドラボーズ(「Natuu Natuu(ナートゥ・ナートゥ)」、『RRR』より)と、例年に比べてアジアにルーツを持つクリエイターの受賞が増えた。演技賞を2人のアジア系俳優が受賞するのも、ノミネーションに4名が入ったことも、アカデミー賞の歴史上初めてのことだった。
■大役を見事果たした司会、ジミー・キンメル
司会を務めたジミー・キンメルは、2016年、17年に続いて3度目。2017年の第89回は、作品賞受賞作の封筒を取り違え発表するという世紀の大失態があった年。キンメルが機転を効かし、混乱するステージをなんとか収めた手腕が買われての再登板ではないかと言われている。昨年までの授賞式は下がり続ける視聴率を危惧し、音楽ゲストを増やし、際どいジョークで視聴者を惹きつけるコメディアンたちを起用。それらの策は裏目に出るばかりで、昨年のような前代未聞の放送事故が起きてしまった。
今年は、作品賞候補作で2022年随一の大ヒット作『トップガン マーヴェリック』(公開中)の映像からハリウッドのドルビーシアターにパラシュートで降り立つというオープニングで始まり、トークでも昨年の事件を引き合いに出して笑いに転化した。「暴力沙汰を起こすと昨年同様に主演男優賞を授与、19分間のスピーチ時間が与えられます。僕を守るチームがいます。アドニス・クリード(マイケル・B・ジョーダン)、ミシェル・ヨー、マンダロリアン(ペドロ・パスカル)、スパイダーマン(アンドリュー・ガーフィールド)、フェイブルマン(スティーヴン・スピルバーグ)が!」とうまくジョークに落とし込んだ。名前が挙がるたびにチーム・キンメルのリアクションがカメラに収められたように、“すべては管理下にある”ことを強調。全23部門を生放送で発表すること、主演女優賞候補から『Till』のダニエル・デッドワイラーと『The Woman King』のヴィオラ・デイヴィスが落ちてしまった件、「映画館へ行こう」と観客を促し続けたにもかかわらず授賞式欠席のトム・クルーズとジェームズ・キャメロンの不義理もジョークで切り抜けた。
舞台転換の際に客席のマララ・ユスフザイをいじりムッとされながらも、予定調和で進む授賞式はテレビ番組として物足りなかったかもしれない。だがアメリカの視聴者はこれを評価し、昨年から13%アップの1880万人の視聴者数を記録。18歳から49歳の視聴者数は5%アップし、3年ぶりに数値を上げた。放送局が権利を手放しYouTubeで配信されたSAG賞やインディペンデント・スピリット賞とは異なり、アカデミー賞の放送権は守られたと言えるだろう。
■新たな才能に光を。A24が映画業界を未来へ導くか
では、このアジア系クリエイター大躍進はなにを意味するのだろうか。アカデミー賞の投票母体である映画芸術科学アカデミーは、2012年に排他的体質が批判されて以来、外国人や性的、人種的マイノリティに属する人々を積極的に新会員に迎え入れた。約9600名の現会員のうち、約6割がこの10年間に入会している。だが、会員の多様性を広げたのは批判に対する危機管理ではない。ハリウッドが次の100年間も繁栄し続けるには、新しい視点とクリエイティビティを迎え入れ、世界の観客に向けて発信することが最善の方法という考えからだろう。今年大記録を打ち立てたA24は、ビッグスタジオとは異なる先駆性で新しい才能にチャンスを与えてきたブティック・スタジオ。
『複製された男』(13)のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、『ロブスター』(15)のヨルゴス・ランティモス監督、『ムーンライト』(16)のバリー・ジェンキンス監督、『レディ・バード』(17)のグレタ・ガーウィグ監督、『へレディタリー/継承』(18)のアリ・アスター監督、そして『スイス・アーミー・マン』(16)のダニエルズなど、A24が撒いた種がこの先のハリウッドとエンタテインメント業界を救う芽として息吹き始めたということだ。ダニエルズはすでにユニバーサル映画と独占契約を結び、次作以降はメジャースタジオで作品を作る。コミック原作などのIP作品や続編ではなく、オリジナルな作品を生み出せる才能を映画業界最大の祭典で表彰し、未来に向かって種を蒔くことが、映画が絶滅する危機を回避する方法となる。
■本年度アカデミー賞における“ハプニング”と“新しい危機”
主演女優賞のミシェル・ヨー、助演女優賞のジェイミー・リー・カーティス、主演男優賞のブレンダン・フレイザー、助演男優賞のキー・ホイ・クァンのスピーチはどれも、努力し続けること、諦めないことの大切さを訴えたものだった。危機管理が行き届かない生放送の授賞式につきもののハプニングにも、美しい瞬間がいくつもあった。昨年の助演女優賞受賞者アリアナ・デボーズが、キー・ホイ・クァンの名前を呼ぶ前に声を詰まらせたり、『RRR』のM・M・キーラヴァーニがカーペンターズの「Top of the World」の替え歌でスピーチを行ったり、作品賞のプレゼンターにハリソン・フォードが登場して『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』(84)のリユニオンが行われたり。昨年1年間に公開された映画を祝う祭典であれば、この程度のハプニングで充分である。
そして、今年の受賞結果には“新しい危機”を予感させるものもあった。ドイツ映画の『西部戦線異状なし』(Netflixにて独占配信中)は、国際長編賞、作曲賞、撮影賞、美術賞の4部門を受賞している。技術賞を3部門受賞し、視聴覚効果賞の『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(公開中)、衣装デザイン賞の『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』(22)、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の『ザ・ホエール』と分けあう結果となった。『西部戦線異状なし』は、英国映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)賞で14部門ノミネートの末、作品賞、監督賞、脚色賞、非英語作品賞など6部門を受賞し注目を集め、オスカーでも非英語作品で唯一作品賞にノミネートされていた。今作はドイツとアメリカが製作、イギリスの版権セールス会社を通じてNetflixがドイツ、スイス以外の配給、配信権を取得している。
『西部戦線異状なし』の制作費は2000万ドル(約26億円)で、例えば作曲賞候補の『バビロン』は8000万ドル(約107億円)、撮影賞や美術賞で並んで候補となった『エルヴィス』の8500万ドル(約113億円)と比べると、低予算の部類に入る。技術部門賞の評価は制作費だけで測れるものではないが、スタジオのビッグバジェット映画の予算管理に、ハリウッドが陥る問題の源泉があるのではないだろうか。ハリウッドは多様性を高めることで、いままで見えない存在だったマイノリティの才能を包摂し、業界の未来に希望をつないだ。次は、映画業界を支えるビロウ・ザ・ライン(主演・監督・製作よりあとに表記されるスタッフや俳優をこう呼ぶ)の状況に目を向けることが求められる。おりしも、来週から全米脚本家組合 (WGA) と映画テレビ製作者同盟 (AMPTP) との契約更新交渉が行われるところだ。
文/平井 伊都子