
新聞業界でいま、最も風変わりな記者として知られる朝日新聞の近藤康太郎編集委員が新著を出した。『百冊で耕す』(CCCメディアハウス)。
どんな百冊を紹介しているのだろうか――。そう思って本書を手に取ると、たぶん読者は、ちょっと肩透かしを食ってしまうことだろう。

単なる読書案内ではない
多くの読書案内本は、普通、ジャンルごとに書籍が並んで内容が解説され、なぜ読むべきか、などの理由が記されている。ところが本書の体裁は、大きく異なる。
全体は11章に分かれているが、本のテーマによる分類ではない。ざっと、以下のようになっている。
第1章 終わりなき論争:速読の技術/遅読の作法
■A面 速読の技術――本を精査するためのスキニング
■B面 遅読の作法――空気を味わうためのテクニック
第2章 本という投資:本を買う/本を借りる
■A面 本を買う――百冊読書家になる
■B面 本を借りる――図書館マスターになる
…
本のジャンルや内容ではなく、読み方を軸に章立てが構成されている。本書は「百冊」を選び出すための技術論、といってもいいかもしれない。
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「A面」「B面」というのは、昔のシングルレコードの表と裏のこと。一般的に「A面」がメーンで、「B面」はサブ、と受け止められているが、近藤さんは、ローリング・ストーンズの「無情の世界」もGAROの「学生街の喫茶店」も「B面」だったと指摘。本の読み方も、一通りではないことを強調する。
『風の歌を聴け』のスペイン語版
なかでもちょっと驚くのは、「第10章 美しい日本語世界のわたし:母語でじゅうぶん/原書にあたってこそ」だ。
■A面 母語でじゅうぶん――日本語訳A、日本語訳B、……日本語訳X
■B面 原書にあたってこそ――英語、第三外国語、そして再び日本語
日本人向けの読書案内本だから、当然、日本語の本のみを対象にしていると思う。ところが、外国語の本や、海外で出版されている日本人作家の翻訳本まで登場する。ざっとこんな具合だ。
「ダンテの『神曲』を、わたしは山川丙三郎、平川祐弘、寿岳文章、中山昌樹、生田長江の訳文を並行し、ケアリーによる英語訳とも比較しながら読んだ」
「村上春樹の『風の歌を聴け』は、村上作品中で一番好きで、ずいぶん早い時期に英語訳でも読んだ。スペイン語で初めて一冊を読み通したのも、この本だった」
『神曲』は、英語版と、複数の日本語訳を対比しながら読んだことで、邦訳の違い、訳者の苦労などが理解できたという。『風の歌を聴け』では、「本を読んだって孤独になるだけさ」という原著の一行が、スペイン語版では「読むということは/きみを/孤立させる/その他大勢から」と訳されていることを知り、驚愕する。
村上さんが「孤独」と書いた意図が、スペイン語版では一段と明確になり強められている。村上作品を愛読する近藤さんだが、この部分は日本語では読み飛ばしていた。ところが、辞書を引きながら11か月もかけてスペイン語版を味読したことで、その意味をより深く考えることができた。
プラトンから柄谷行人まで
以上からわかるように、本書は、ストレートに「百冊」を紹介するのではなく、読み方の「A面」「B面」を語りながら、多数の本を引用、それらが最終的に「百冊」にまとめ上げられ、巻末にリストとして掲載されている。