
――前編では、幼い頃からお父さんと一緒によくスナックへ通い、歌に慣れ親しみながらも、警察官になる夢を追っていたとのことでした。歌手へと夢が変わったのはいつ頃ですか?
田中 小学生のときから趣味程度ですが、地域のカラオケ教室には通っていたんです。その中で、カラオケ大会にも出ていました。高校1年生のとき、同じ年の子たちがCDを出し始めたんですね。そこで「この子らにできるんだったら、私にもできる。負けてられるかい」と考え始めましたね。
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父は、歌手になることを応援してくれていたんですけど、母はなるべく安定した職業に就いてほしいとの思いから、大学へ進学することになりました。私はもう勉強したくなかったんですけどね。母からは、大学の4年間で芽が出なければ歌手の夢は諦めなさいと。
――ところが、大学1年の2019年『日本クラウン演歌・歌謡曲新人オーディション』でグランプリを受賞しました。
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田中 初めて受けたオーディションだったんです。それまで出場していたカラオケ大会は、近所のおじいちゃん、おばあちゃんが中心に出ている大会でしたから。それが大学に入学して2カ月後のことでした。予選を通過しただけでもありがたいなと、本選が行われた東京へ両親と共に半分、観光気分で訪れたんです。決勝に残っている20人中、私以外の19人は歌手になりたい夢を懸けて臨んでいるのに、私は翌日にディズニーランドへ遊びに行く予定を立てていました(笑)。
グランプリ受賞しデビューへ
――グランプリを受賞したときの両親の反応は?
田中 父はものすごく喜んでくれましたけど、母はグランプリを取ったけどこれからどうするの? みたいな感じで(笑)。後日、日本クラウンの担当者さんがわざわざ実家のある京都まで来てくれたんです。そのときに、母はため息交じりに「分かりました」と。
――その後、すぐにコロナ禍に突入しましたね。
田中 大学も2年生になると、オンラインでの講義に変わり、大学内で友達と会う機会もめっきり減りましたね。画面上でしか会えなくなっていきました。中には課題を提出するだけの講義もあったんです。ですから、2年間くらい会っていない友達もたくさんいました。再び大学に通い出したのは4年生になってから。4年になると、大体の単位をみんな取得し終わっているので、文化祭やサークル活動など楽しい大学生活みたいな思い出はほとんどないんです。
2021年に『孤独の歌姫(シンガー)』でデビューさせてもらったのですが、最初はなかなか所属事務所も決まらなかったんです。ようやく現在所属している『細川たかし音楽事務所』に決まったのですが、コロナの感染者数が増えたり、減ったりを繰り返したじゃないですか。それでデビューまで紆余曲折ありましたね。