東京の主要部でありながら江戸の風情を残す神楽坂に遊びに来る人は多いが、その奥は実に深く、一度や二度訪ねたぐらいで本当のところは分からない。
そこで、この地に住んで25年になる俳優でタレントの峰 竜太さんをインタビュー。
うわさの豪邸にお邪魔し、神楽坂とのなれ初めや、魅せられる理由を語ってもらった。
「芸者さんや老舗が醸し出す神楽坂の“香り”を残したいものです」
峰 竜太さんが神楽坂に住まいを構えたのは1998年のこと。きっかけを作ったのは奥様だった。
「ある日、海外ロケから帰ってくると、カミさんが神楽坂に土地を買っていたんです。
告げられたときは腰が抜けそうになりましたけど(笑)、よくよく聞いてみると、ずっと憧れていたそうなんですよ。
ほら、江戸時代からの花街じゃないですか。カミさんは噺家の娘。
噺家はお座敷に呼ばれて一席所望されることもあったようなので、子どもの時分から花柳界のことをいろいろ聞いて、思いを募らせていたみたいですね」
その家には約10年住んだ。
気に入っていたが、家の前の道が狭く、クルマで来てくださる人にとって都合が悪かったので、2007年に今の家に引っ越した。
潜水艦を思わせるインパクト大の外観は神楽坂の閑静な住宅街で存在感を放っており、過去には『ニューヨークタイムズ』紙がわざわざ取材にやって来たという。
ところで、峰さん自身は、もともと神楽坂にさほどの思い入れがあったわけではないらしい。
「長野県出身なので、東京のどこそこではなく、東京での生活そのものに憧れていました。もちろん、神楽坂に住むようになってからいいお店とたくさん出合いました。
松井秀喜さんが巨人時代に通ったことでも知られる居酒屋の『もー吉』とか。山形の郷土料理を出してくれて、番組でお世話になった方々と1杯やるにはちょうどいい場所でした。
ただ、神楽坂の奥の深さを理解するようになったのは、もう少し後の段階」
それは神楽坂の住人になってから約2年が経過したタイミングだった。
デビューから24年間所属した石原プロを離れ、個人事務所を立ち上げた2000年の頃。
「当たり前ですけど、ぜんぶ自分たちでやり繰りしなくてはならなくなったんです。売り込みも何もかも。
接待の回数も増え、神楽坂の料亭によくお世話になりました。中でも『千月』。芸者衆とも顔なじみになって、仲良くなって。
そうそう。これはうちのカミさんだからやれたのかもしれませんが、たとえば節分の時期には、十数人のお姐さんたちに協力してもらって、僕がお世話になっていたテレビ局で豆まきをしたんです。
彼女たちは皆、日本髪を結って、黒留袖を着て、それはそれは華やかで。とっても喜ばれましたよ。要は人をもてなそうという心意気が並大抵のものじゃないんですね。
今は時代の流れで料亭の数も減ってしまって、花柳界の活気も失われつつありますが、受け継がれてきた精神は神楽坂に暖簾や看板を掲げるあちこちの商店から、今なお感じ取ることができますよ」
「粋なお付き合いができるお店が多い。街をつくるのはやっぱり人ですね」
そう言うと、峰さんはひとつの例として“志満金”の名前を挙げた。夏目漱石や泉 鏡花の小説にも登場する、明治2年創業の鰻と割烹料理の老舗である。
峰さんはもっぱら差し入れをするときには、贅沢にもこの店の鰻重を調達するそうだが、聞けば無茶振りとも思える急なお願いにも誠実に対応してくれるらしい。
番組のスタッフや共演者への差し入れに!
『かぐら坂 志満金』
神楽坂下の交差点からすぐの所にある創業150年の鰻の名店。代々継ぎ足す秘伝のタレを使った鰻重が名物。
峰さんが差し入れにしているのはテイクアウト用の「雅」。
おもてなしの心が宿るのは、何も老舗に限った話ではない。
神楽坂には新しい店もオープンしているが、峰さんはその新規参入組からも例の“神楽坂らしさ”を感じることが多いという。
家族の記念日を彩るオーダーケーキ
『チカリシャス NY アマリージュ神楽坂』
本多横丁にあるデザートバー。本店はニューヨークのマンハッタン。
誕生日や記念日のオーダーメイドケーキも受け付けており、峰さんも「フルーツの使い方がうまい」と絶賛。
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「付き合いが深くなると、わざわざ家まで配達してくれたり、店内を貸し切りにさせてくれたりするんです。
『神楽坂』の商店街で長年にわたって商いしている方々のプライドがいい風に伝播し、全体としてまとまりを見せているのかもしれません」
ファッショニスタ・峰さんの影の立役者!?
『フジクラクリーニング』
赤城神社のそばのクリーニング店。
イタリアの服を愛し、スタイリストは付けずに衣装はすべて自前という衣装持ちの峰さんにとって欠くべからざる存在。手仕上げにこだわる。
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「やはり一番心配なのは花街の印象が薄れてきていること。お座敷に出る機会が激減した芸者衆に新たな仕事の場を提供するなど、皆で知恵を出し合い、神楽坂の香りをいつまでも残したい。
粋なお付き合いを大切にできる人がたくさんいる神楽坂なら、それができると信じています」
それを聞いて思った。神楽坂に住まうとは、伝統や文化を支えるということでもあるのだ、と。
■プロフィール
峰 竜太 1952年生まれ、長野県出身。1973年、NHKのドラマ『銀座わが町』でデビュー。以降、大ヒットドラマ『大都会』『西部警察』シリーズに出演。現在は『アッコにおまかせ!』『出没!アド街ック天国』などのレギュラー番組を持つ。妻は“昭和の爆笑王”林家三平の長女・海老名美どり。
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かつて花街として栄え、今でもその伝統や文化が色濃く残る街、神楽坂。
そこに暮らす峰さんでさえ、気づくまでに2年かかったという“街の奥深さ”こそが、人々を魅了し続ける理由なのだろう。
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「突然カミさんが土地を買って…」峰 竜太が25年も神楽坂に住む理由
2023年3月9日