双子の姉・倉本桜は、そんな小さな野望を抱いて大学進学と共に東京に出てきたが、うまくいかない東京生活に疲れ切ってしまい…。
対して双子の妹・倉本葵は、生まれてからずっと静岡県浜松市暮らし。でもなんだか最近、地方の生活がとても窮屈に感じてしまうのだ。
そんなふたりは、お互いに人生をリセットするために「交換生活」を始めることに。
暮らしを変えるとどんな景色が見えるのだろう?
29歳の桜と葵が、選ぶ人生の道とは――。
◆これまでのあらすじ
東京生活に疲れてしまった双子の姉・桜。浜松在住の妹・葵は、夫に浮気され、離婚する。それぞれ悩みを抱える双子姉妹はお互いの生活を交換することを決心する。29歳の新生活に胸を躍らせるが…。
▶前回:「もう疲れた…」マッチングアプリをやめた29歳女が見つけた、意外と素敵な出会いのきっかけ
Episode04:妹・倉本葵。東京での新生活がスタート
― わぁ…。
金曜日、19時前の恵比寿駅前。
西口の改札を出た私は、予想以上の人の多さと華やかさに驚いた。
これまで渋谷や原宿、東京駅の周辺には行ったことがあるが、恵比寿は今日が初めてだ。
桜のInstagramによく登場するエリアだが、“渋谷の隣”というだけで、実際は大したことないと思っていた。
それなのに、その思い込みは、たった今見事に砕かれた。
恵比寿は大人の街のイメージだったが、意外にも若い人が多いし、美男美女もチラホラと見かける。
「東京って、やっぱり日本の中心だわ…」
そうつぶやきながら、スマホのマップを開く。
これから、初対面の男性と食事をするのだ。こんな体験は今までの人生で一度もない。
私は男性が予約してくれたイタリアン『マンサルヴァ』を目指した。
慣れない道で、無事に時間までに着くかドキドキしながら。
地図を見ながら歩いても、やはり初めての場所は迷う。案の定、約束の時間ギリギリになってしまった。
「あ、葵さん?どうも!リュウです~」
待ち人は、店の中ではなく、外でスマホを触りながら私を待っていた。
「すみません、5分前には着こうと思ったんですが…」
謝ったものの、リュウは全く気にしていないようだった。
「全然平気!今日は、よろしくね」
そう答えてくれたのに、リュウは店の中に入ろうとしない。
「お店が狭いからさ、中で初めましてってやるのちょっと恥ずかしいじゃない?」
「あ…!わかります。そうですよね」
そう答えたが、実は私は、こうやって男性と待ち合わせをするのは人生で一度もない。
「っていうか、葵ちゃん写真と変わらないね。むしろ実物の方がかわいいかも」
「ほんとですか。よかったぁ」
このやりとりも、この状況も、先月まで浜松在住の既婚者だった私には、全く想像もできなかった。
「じゃあ、そろそろ行きますか」
リュウは笑顔でお店のドアを開けた。
◆
リュウとの出会いのきっかけは、1週間前
双子の姉・桜とお互いの生活を交換することになり、私が彼女のマンションに訪れたのは、1週間前のことだ。
まず驚いたのは、浜松から上京する際、新横浜で新幹線を降りたこと。
― 中目黒は東京なのに、神奈川県の新横浜から行く方が早いのね。
そこからJRと東急東横線を乗り継いで、なんとかたどり着いたのは、中目黒駅にある古いマンション。
「桜はここに住んでいたのね…」
お世辞にもいい部屋とは言えなかった。
私が住んでいた浜松の家と、家賃はほぼ変わらないはずなのに、かなり狭い。
でも、そんなことはすぐにどうでもいいと思えた。
私は、元夫の浮気が判明した日から、毎晩泣きながら眠りについていた。
悪夢を見ては目が覚めて、それから朝まで眠れない日々。
子どもがいたら…もっと女性らしく振る舞っていたら…一軒家を購入していたら…今とは違う未来があっただろうか。
考えても仕方のないことばかり、考えてしまう。
だから、東京に来て無理やりにでも環境を変えることは正解だったかもしれない。
ここにいれば、地元の仲間に気を使われることも、必要以上に噂されることもないのだから。
目黒川沿いを歩いたり、ひとりでランチにふらっとお店に入ってみたり。
そんな東京での些細なことが、私を癒してくれた。
私の今一番のお気に入りは、目黒川沿いに佇む『スターバックス リザーブ ロースタリー』だ。
― 桜もここに来ていたのかな?
これが桜にとっての日常だなんて本当にうらやましいと思いながら、1,000円近くする高いコーヒーを飲んでいると彼女から連絡が来た。
『桜:あおい、東京の生活はどう~?今すぐに恋愛はムリでも、そっちで男の人とゴハンくらい行ってきたら?』
『葵:う~ん…』
悩んでいる私に、桜はオススメのマッチングアプリをいくつか教えてくれたのだ。
そのマッチングアプリで最初にアポを取れた相手が、目の前にいるリュウだ。32歳で、仕事はアパレル会社経営。
浜松では、なかなか出会えない人種だ。
「葵ちゃん、何飲む?」
「あ…どうしようかな?リュウさんと同じもので」
私は緊張を隠しきれなかった。
元夫以外の男性とデートなんて、ほとんど初めてに近いからだ。
なんとか、スムーズに会話ができるようになったのは、ワインを2杯飲んだあとだった。
「葵ちゃん、看護師さんだっけ?」
「はい」
「ここ数年は特に大変だったでしょ。医療従事者には本当に頭が上がらないよ」
「そんなことないですよ」
私が勤めていたのは、町の小さな小児科だ。口では謙遜するものの、発熱外来でもあったので、忙しかったのは事実。
でも、誰かにこんなふうにねぎらってもらったのは初めてだ。
「いやいや、純粋に尊敬します。よくがんばったね」
― がんばったのかな…私。
つい、目頭が熱くなってしまった。
仕事を辞める決心のあとに発覚した、元夫の浮気。
そのせいで、すべてに見放されたような気分だったから、誰かに認めてもらうと、自然と涙が出てきてしまう。
「あ…ありがとうございます」
泣くのを堪えながら言った。
おいしすぎる料理と、それに合ったお酒。そして、隣には初対面なのに優しくしてくれる人。
それだけで、心の傷が少しずつ回復していく。そんな不思議な感覚を覚えた。
「このあとどうする?僕はもう少し葵ちゃんと飲みたいけど」
「私も…行きたいです」
「そうしたら新橋に知り合いが経営しているバーがあるから、そこでもいい?」
初めて降り立った新橋は、六本木や恵比寿とは雰囲気がまるで違った。いい意味で洒落すぎていない、独特の空気感がある。
私たちは2軒目も存分に楽しんだ。お酒を飲んで、歌を歌って、また飲んで。
こんなにはしゃいだのは、久しぶりだ。
ひとときだけでも、嫌なこと全部を忘れさせてくれたリュウには感謝しかない。
― やばっ。もうこんな時間だ。
日付も変わりそろそろ帰ろうとしたとき、ふと常連客らしい派手な服装の女性から声をかけられた。
「リュウはやめときな。優しいでしょ。でもね、誰にでもそうなの」
「…はい」
言われなくても、気づいている。
リュウが特定の彼女を欲していないことや、私を本気で口説くつもりがないことくらい。
でも、今日はそれでいいのだ。私には十分すぎるくらい楽しませてもらったから。
「優しいのって、いいことですよね」
私はその女性にそう言うと、リュウに声をかけて店を出た。
「今日はありがとうございました」
「葵ちゃん、こちらこそ今日はありがとう。またね!」
リュウが笑顔で手を振ってくれた。この軽い感じも、今の私にはちょうどよかった。
― うぅ。ちょっと飲みすぎたかも。
こんなに遅い時間まで終電があることに感謝しながら、千鳥足でなんとか中目黒の家にたどり着く。
ふとスマホを見ると、桜から連絡が来ていた。
『桜:ねぇ、あおい聞いて。今度こっちで優馬とふたりで会うことになったよ笑』
― え…?優馬と…?
いつもならすぐに返信するのに、なんて文字を打てばいいのかわからない。
私はこのモヤモヤの正体がわからず、そのままそっと心に蓋をした。
桜のことは大好きだし大切な姉なのに、マイナスの感情が出てくる自分が許せなかったのだ。
そして、気を紛らわすようにマッチングアプリを開いた。
私は、自分でも気づかないうちに“東京をもっと満喫したい”と思い始めていたのだった。
▶前回:「もう疲れた…」マッチングアプリをやめた29歳女が見つけた、意外と素敵な出会いのきっかけ
▶1話目はこちら:婚活に疲れ果てた29歳女。年上経営者からもらうエルメスと引き換えに失った、上京当時の夢
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桜のストーリー:交換先の地元・浜松で、ふたりの男性とデートをすることに…