その包み紙を開けたとき、送り主から相手への想いが明らかになる。
ずっと言えなかった気持ち。意外な想い。黒い感情…。
ラッピングで隠された、誰かの想い。
そこにあるのは、プレゼントなのか。それとも、パンドラの箱なのか──。
▶前回:「バーキンなんて全然いらない」超高級な誕生日プレゼントに文句を言う妻が、本当に欲しいものは?
「拓海さん、私ずっとファンだったんです…!!」
恍惚とした表情で、女はじっと拓海を見つめる。
その目に嘘はないと、拓海は思う。
美しい女だ。人形のように可愛らしい顔立ちが、拓海の方だけに向けられている。
「ありがと」
けれど、簡単な言葉で女をかわす。
拓海の周りは、いつもきれいな女で溢れかえっている。こんな風に色目を使われることだって少なくない。
だけど、誰一人として拓海の心を動かしたことはない。
拓海はとくにイケメンというわけではない。個性派俳優としてブレイクする今までは、どちらかというと不遇な時代を送っていた。
チヤホヤされ始めたころは、浮かれた。女性からアプローチされるというだけで舞い上がったものだった。
けれど、一通り美女と遊び尽くした後。拓海の心に残ったものは、虚無だけ。
拓海は美しい女に囲まれながら、ただ一人物思いにふけるのだ。
◆
「たくみん、今日は帰り遅いの?ちゃんとご飯食べてね?冷蔵庫に色々作り置きしておいたから」
「おぅ…」
俳優を夢見て、下積み生活を送っていた時代、拓海には恋人がいた。
「ね?聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。ありがと!」
毎日のように拓海の住むボロアパートに来ては、ご飯を作ってくれる。地味だけれど、まるで母親のように面倒を見てくれる健気で優しい子だった。
「ちゃんと温かくして寝てね!」
「わかったわかった」
大学を卒業し、アルバイトをしながら小さな劇団に所属していたあの頃。
イケメンでもなければ、お金もない。俳優になるという無謀な夢を追う拓海は、シンプルにモテなかった。
しかし、加奈子だけは違った。
劇団の公演を見に来た加奈子は、拓海に一目惚れ。彼女からの猛アプローチでお付き合いがはじまったのだ。
当時の拓海のどこに加奈子はそんなに惹かれたのか。今となっては、それを知る術はない。
けれど、加奈子の甲斐甲斐しい世話ぶりから、拓海は加奈子の愛情を痛いくらいに感じることができた。
23歳から27歳までの4年間、拓海にとっての下積み生活が続いた。
親の反対を押し切り上京してきたばかりの頃は、未来に希望しか感じていなかった。
若い自分には何でもできる。きっと俳優として大成功を収められる。すぐにチャンスは来る。
そう思っていたけれど、1年また1年と歳を重ねるごとに、その希望はしゅるしゅるとしぼんでいく。
受けるオーディションはことごとく不合格。仕事もなければ、ブレイクする目途もチャンスもない。
アルバイトと稽古の往復だけの、単調な日々。
周囲の友人が少しずつ結婚したり、仕事で成果を収めはじめる。焦りと苛立ちがじりじりと拓海を蝕んでいた。
「大丈夫。絶対大丈夫。こんなカッコイイ俳優さん、世界どこ探してもいないから!本当だよ!私が保証する!!」
拓海が落ち込むたびに、加奈子はずっとそばで励ました。
加奈子だけだった。
親も友人も、同じ劇団員でさえ、拓海がいつか俳優として活躍するなんて思っていなかった。
切れそうになる糸を加奈子が少しずつ紡ぎ足しながら、なんとか日々をつないでいく。そんな地道な毎日を送る拓海に、その日は突然やってきた。
「君、次のドラマ出てみる気ある?」
最初は何かの冗談かと思った。演劇の上映が終わったあと、ドラマのプロデューサーだという男から声をかけられたのだ。
「はぁ…」
こんな小さな劇団に、そんな人が来るのだろうか?肩書が本当だったとして、からかわれているんじゃないか?
言葉の意味を額面通りに受け取れる素直さを失っていた拓海だったが、時間ならいくらでもある。騙されたと思って、男と連絡先を交換したのだ。
しかし、人生というのは、ときに思ってもみなかったことが起こる。
男がテレビ局のプロデューサーというのは、本当だった。拓海に提案した言葉も、全部。
そして、初出演したドラマで、拓海は一気に注目を浴びることとなった。
ドラマや映画、ミュージカル。一気に引っ張りだことなった拓海。イケメンというわけではないながらも、どこか哀愁の漂うエキゾチックな雰囲気が“個性派”と形容され、若い女性にうけた。
貯金がほとんどそこを尽きかけていた、どん底からの逆転劇だった。
芸能事務所に所属してすぐ、高円寺のボロアパートから港区のはずれにあるタワーマンションへと、セキュリティーにうるさい事務所の命令で半ば強制的に引っ越した。
高層階でもなければ、超高級マンションというわけでもない。
家賃20万円を切る1LDK。「こんな部屋に20万!?」と、当時の拓海の感覚では思ったものだった。
しかし、仕事に追われる日々の中で、生活水準がガラッと変わることに対する戸惑いや喜びみたいなものは、徐々に薄れていった。
というより、次から次へと流れ込む仕事を必死にこなす中で、いちいち感情を動かしている時間と余裕がなかった。それが正確な表現なのかもしれない。
濁流に飲み込まれるような毎日。そんな中で、加奈子の存在感が少しずつ薄れていったのは致し方ないことだった。
これといった理由はなかったけれど、新居の鍵を渡さなかった。オートロックのマンションに入れるはずもなく、加奈子との時間は激減した。
一方、今までは画面越しに眺めていただけの綺麗な女優やモデルたちと交流する機会は増加。
加奈子に別れを切り出すのは、時間の問題だった。
「ごめん、ちょっと今は仕事に専念したくて…。別れてほしい」
拓海だって、我ながら最悪だと思った。
ここまでこれたのは間違いなく加奈子のおかげ。そんな彼女に、ほとんど嘘の理由で別れを切り出すのだから。
けれど、美しい女たちにチヤホヤされはじめた男には、長年連れ添った彼女に対して興味を持ち続けることはどうしてもできなかった。
そんな状態でダラダラ付き合いつづけるほうが、失礼だと思った。
自分の俗っぽさに驚いたけれど、感情や本能はどうしようもコントロールできなかったのだ。
電話越しに、無言が続いた。
長い長い沈黙とすすり泣く声のあと、加奈子は最後にこう言った。
「わかった。でも、本当にたくみんのことを一番に、心から応援しているのは、私だから」
その言葉に、どうしようもないほどの罪悪感が湧き起こる。
「ごめん、ありがとう」
「…」
「加奈子も、幸せになってね」
「…」
一方的にそう言って、電話を切った。
自分から切り出した別れなのに、もう感情はないはずだったのに、心から血が滲む感覚がした。
けれど、時間というものは色んなものを風化させる。
それから、拓海は色んな女性と浮名を流した。
モデル、女優、タレント…。パパラッチされ自分の爛れた生活が記事になったときは、嬉しくて週刊誌を記念に3冊買った。
しかし、付き合っていた女優に、あるとき言われたのだ。
「ねぇ、ちゃんとヒット作出続けてよ」
最初は自分に発破をかけているつもりなのかと思ったが、すぐに気づいた。
彼女は拓海を、1人の人間として見ていなかった。
“人気俳優”。その肩書だけを目当てにされていたのだ。
だけど、それは自分も同じこと。女優と付き合っているというステータスに、拓海は浮かれていただけ。
その軽薄さにじわじわと白けていってしまい、それから拓海は、誰ともデートすらしなくなってしまった。
加奈子との別れから、7年という月日が流れた。
港区のはずれから中心地へと引っ越し、成功者として上り詰めた拓海の元には、美女が次から次へと押し寄せる。
しかし、忙しい仕事の合間、ふと空いた余白で拓海がいつも思い出すのは、美しい女優でも大活躍しているタレントでもなく、地味な加奈子だった。
彼女から向けられた愛情の温かさが、恋しくてたまらなくなるのだ。
『本当にたくみんのことを一番に、心から応援しているのは、私だから』
あの時もらった言葉が、無意識のうちに幾度となく脳内でフラッシュバックする。
拓海が26歳のとき、加奈子からプレゼントをもらった。お金のなかった当時ですらダサいと思った、網目もガタガタなダサいマフラー。
それは今でも、拓海のクローゼットの中で静かに眠っている。
取り出して、触れて、思い出に浸りたい。あの頃の、加奈子のぬくもりに触れたい。
そう思うけれど、その衝動をぐっと抑える。
きっと、また会いたくなってしまうから──。
加奈子が別の誰かと結婚したと、風の噂で聞いた。子どもも2人いるとか。きっと加奈子は、昔のことなんてとっくに忘れているだろう。
自分の弱さが生んだ結果だ。
ずっと前の元カノからもらったプレゼントを捨てられずに持っている。なんて未練がましい男だろうと自分でも思う。
けれど、そのマフラーが眠るクローゼットを眺めながら、拓海は自分の犯した間違いの重さを実感する。
もう一度連絡してしまおうかと何度も思ったけど、寸前で堪え続けた。
今は別の人と幸せに生きている加奈子の心に、荒波を立てたくない。遠くからそっと加奈子の幸せを願うことが、償いであるかのように思えた。
「本当に加奈子の幸せを一番に、心から祈ってるのは、俺だから」
加奈子には決して届かない思いを、今度は拓海が小さな声でつぶやく。
あのプレゼントを捨てることができる日は、まだ遠そうだ。
Fin.
▶前回:「バーキンなんて全然いらない」超高級な誕生日プレゼントに文句を言う妻が、本当に欲しいものは?
▶1話目はこちら:貞淑な妻が夫にねだった、まさかのクリスマスプレゼントとは…