それが幸せの形だと思っていた。
でも、好きになった相手に結婚願望がなかったら…。
「今が楽しいから」という理由でとりあえず付き合うか、それとも将来を見据えて断るか…。
恋愛のゴールは、結婚だけですか?
そんな問いを持ちながら恋愛に奮闘する、末永結子・32歳の物語。
◆これまでのあらすじ
結婚願望がない日向と付き合うことに抵抗があったはずなのに、会うたびに惹かれていく結子。とうとう日向に交際OKの返事を出す。一方日向は、結子を知ったのは昨日今日ではなく…。
▶前回:デートに1時間遅刻してきた彼。女の“ある一言”で、男は激怒し別れ話に…
Vol.6 お泊まりデート
結子が、デスクでメールの返信に没頭していると、Apple Watchがブルっと震えた。
左手を傾けて画面を見ると、LINEの通知。結子はバッグの中にノートPCを片付け、アウターを手に取ると席を立った。
「末永さん、外出ですか?」
今年1年目の高坂が声をかけてきた。10日ほど前から、結子が教育係を引き受けている後輩女子だ。
「あ、うん。外で打ち合わせがあるから、ランチの後そのまま向かっちゃうね。何かあったらメールして」
そう言うと、結子はバタバタとオフィスを後にした。別に急ぐ理由はないのだが、足止めを食らうのは避けたかった。
外に出て、青山通りを赤坂方面に歩いていく。しばらくすると、結子は前方に見覚えのある後ろ姿を捉えた。
「日向くん」
背後から結子が声をかけると、日向が振り向いた。
「おつかれさまです。スムーズに出てこれましたね」
「うん。私が教育係をしている後輩から声かけられたけど、メールでお願いって」
2人は銀杏並木まで早足に歩いて行く。
「結子さんがシェイクシャック食べたいなんて、意外」
「ジャンクを無性に欲しているの。あるでしょ?そういう時。シェイクシャックならオフィスから少し歩くから、社内の人と遭遇しないかな、って」
結子はこうして隙間時間に会って話ができる、2人の距離間が気に入っている。
チキンバイツとチーズフライをシェアし、それぞれバーガーをオーダーした。
「マッシュルームバーガー、控えめに言っても最高だわ」
バーガーに続いて、満足そうにチキンバイツを口に放り込む結子。日向はじっとその様子を見ていた。
「そういえば、最近高坂さんの教育係になったんですか?」
はたと結子は食べる手を止めた。
「そうそう。なんで知ってるの?」
「なんだかんだ有名ですから、彼女」
高坂理佐はまるでアイドルグループから抜け出したかのような可愛らしい顔立ちで、小柄だがスタイルもよく、社内でもピカイチ目立つ。
「彼女、どうですか?」
「実は、色々悩んでいるのよね。彼女って、やる気があるのか、ないのかわからなくて…」
例えば、先週のこと。
結子は、高坂に、データ収集とプレゼンの資料の作成をお願いした。
「はい、わかりました」と彼女が返事をしたので、結子はすぐに取り掛かってくれるものだと思っていた。
だが、いつまで経っても報告がない。
2日ほど待ったが、見かねて「データとプレゼン資料の件って大丈夫?」と結子は聞いた。
すると高坂は、申し訳なさそうに答えた。
「すみません、日中は末永さんとクライアントの撮影に同行したり、打ち合わせにご一緒していたので、手をつける時間がなくて…」
高坂は、何をお願いしても、コンプリートできずに言い訳ばかり。それもあの可愛らしい顔で言われると、こっちが悪いような気分にまでなるのだ。
「で、末永さんは、結局自分でやっちゃうんでしょ?」
日向はおかしそうに笑っている。
「まあ、そういうこと…。ジェネレーションギャップを感じるわ」
「僕は会社以外での彼女を知ってますけど、広告代理店で働いているって言いたいだけで、仕事に情熱はないですよ」
結子は、なるほど…と思いながら、“会社以外での彼女”という部分が引っかかった。
「会社以外って…」
「気になりますか?彼女、典型的な港区女子ってやつです。僕の大学の先輩方が飲みの席で一緒になってます。20代のうちに、いい男を見つけて結婚して、仕事辞めたいって思ってるんじゃないかな」
日向の口から“港区女子”なんて言葉が出るとはちょっと意外だった。
「20代のうちにって……。私は手遅れね。にしても、日向くんからそんな話が出るとは…」
「年齢なんて関係ないですよ。でも、あの界隈で遊んでいる子たちは、若くて綺麗なうちに、ハイスペックな男と結婚して、港区の夜を引退っていうのが理想らしいです。儚いんです。だから、まともに仕事している場合じゃない」
日向は、まるでよく知っている女の子の話をしているようだ。
「その生き方ある意味、幸せかも」
結子がつぶやくように言う。
「僕は、そこまで結婚に執着できる理由がわかりません」
日向の顔から笑みが消えた。
― 結婚の話が出ると、なんかスイッチ切り替わるのよね。何か理由があるのかも…。
「彼女のことは、割り切ったほうがいいです。ところで、今週の土日、軽井沢に行きませんか?祖父母の別荘があるんです」
― 土日ってことは、泊まり…!?
少し考えて結子は答えた。
「うん、行きたい」
すると、日向は嬉しそうに言った。
「じゃあ、土曜日の早朝、車で迎えに行きます」
◆
土曜日の昼下がり。
結子は日向と共に、軽井沢にやってきた。
日向が前もって予約をしていた『エンボカ』はまもなく14時になるというのに、満席だった。
「お野菜がたくさんで美味しい!」
結子が独創的なピザに大喜びする。
「ところで、高坂さんはどうなりました?」
ふと思い出したように、先日の高坂について尋ねてきた。
「あぁ…彼女はね…」
高坂は、相変わらず言われたことすらまともにこなせず、結子はますますイライラを募らせていた。
「定時で帰りたいのはわかるけど、やることちゃんとやってからにして、って注意しちゃった。それでも彼女は、理解不能」
その日は、結子が頼んだ仕事が終わるまで、彼女はオフィスに残っていた。そして、彼女1人残しておくのも心配で、結子も一緒に居残り…。
おおかたの目処がついた頃、高坂が結子に話しかけてきた。
「末永さんって、ご結婚されてるんですか?」
「ううん、してない。どうして?」
結子が聞き返す。
「私、末永さんみたいに仕事できるようになる気がしないんです~。でもうちの会社って、女性の未婚率高くないですか?男性は結婚してる人多いのに…」
「そんなことないんじゃない?」
結子は適当に反論する。
「あ、でも。第二局のプランナーの日向さん、独身ですよね!彼って、知り合いの知り合いなんですけど、彼女とかいるって聞いたことありますか?」
突然、高坂の口から日向の名前が出たことに驚きながらも、結子は「さぁ?どうかしら」と流したのだった。
「そういえば、彼女、日向くんが独身かどうか気にしていたわ。そして、知り合いの、知り合いって言ってたよ」
日向に彼女のことを伝えてみるが、意に返さない様子だ。
「出た。知り合いの知り合い。要するに他人ってこと。そんな話で結子さんがやきもち焼いてくれてるなら嬉しいけど」
「そんなつもりじゃ…」
結子が口ごもると、日向は「そろそろ、スーパーに食材買いに行きましょう」と立ち上がった。
『ツルヤ』で野菜やワイン、パンを調達し、別荘に向かう。
そして、木々が立ち並ぶ別荘地を走り抜け、ある一軒の平家の邸宅のある敷地に、日向は車を停めた。
「着きました」
そこはありがちなロッジ風の別荘とは程遠く、手入れの行き届いたアプローチの先には、モダンで洗練されたデザイナー建築の建物があった。
― 確か家は高輪、大学は慶應、そして、祖父母の別荘がこれって…。
結子の中で、ある1つの考察が浮かび上がる。
― 日向くんって良家の子息で、もしかしたら許嫁がいるとか…?だから結婚願望がない、とか言ってるのかな。
高坂が、日向が独身かどうか気にしていたのは、彼の実家のことを知り合いから聞いて何か知っているのかもしれない、と結子は想像を巡らす。
― ってことは、私は遊び相手だったりして…。
立ち止まり考え込む結子を「何考えてるの」と日向が覗き込む。
「い、いえ!別に!」
慌てふためく結子をよそに、日向は楽しそうに荷物を運びこんでいる。
「座って、ゆっくりして下さい。ビールでも飲みますか」
きょろきょろと家の中を見て回る結子に、日向がヒューガルデンとグラスを差し出した。
結子は、思い切って尋ねる。
「ねぇ、日向くんって本当に私と…」
「何を聞きたいの?」
直球でさっきの考察をぶつけるのも大人気ないと思い、結子は押し黙った。日向はなんとなく察したようだった。
「ここは、祖父母の持ち物で、小さい頃からたまに来てた場所なんです。両親は子どもの頃に父の浮気癖が原因で離婚。普段はその父と2人暮らし…」
日向はポツリポツリと語り始めた。
父は、ゴルフ場の経営ほか、いくつかの事業を手がけていたが、今はほぼリタイヤして遊び歩いていること。家でも、あまり顔を合わせることはないこと。
「じゃあ、信じても?」
「僕のこと信用してないのに、ここまで付いてきたの?」
そう言うと、結子を抱き寄せ、ゆっくりと唇を重ねた。
▶前回:デートに1時間遅刻してきた彼。女の“ある一言”で、男は激怒し別れ話に…
▶1話目はこちら:次付き合う人と結婚したいけど、好きになるのは結婚に向かない人ばかり…
▶NEXT:3月9日 木曜更新予定
2人で過ごす時間が楽しくて仕方がない結子の元に、突然ある人物が訪ねてきて…