過去の恋に執着している自分、臆病な自分、人付き合いが苦手な自分…。
でも、年齢を重ねた分、思い出もたくさんあって手放しづらくなるのが現実だ。
学生のときみたいに、卒業式で強制的に人生をリセットできたらいいのに…。
そんな悩めるオトナたちが、新しい自分になるために奮闘する“卒業ストーリー”。
この春、あなたは何から卒業する?
Vol.1 名前のない関係(メグミ・30歳)
「よし!」
私はバスルームで、胸まで伸びた栗色の髪を丁寧に巻いた。無難だけどハズさない髪型。これが嫌いな男性はいないだろう。
「おはよう、拓実くん。朝ごはん作ったんだけど、食べる時間ある?」
私のベッドでスマホを触っている男に、優しく声をかける。
彼とは1ヶ月前に、マッチングアプリで知り合った。
商社に勤める29歳。長身で肩幅が広く、体格もしっかりしているのに、顔は子犬系。
そのうえ、ミステリアスな独特の雰囲気が漂っていて魅力的だ。
「メグちゃん、ごめん!もう行くわ。またね」
「…いってらっしゃい」
拓実くんは私を見ることなく、勢いよく玄関のドアを開けて、出て行ってしまった。
― また…って、次はいつ会うつもりなんだろう。
私は彼より1時間も早く起きて身支度をし、化粧も済ませていた。
それは、好きな人の目に少しでも可愛く映りたいから。
朝食に用意したのは、サラダと目玉焼きにウインナー。ごはんは炊きたてだし、デザートのいちごも食べやすいようにヘタを切った。
万が一「パンが食べたい」と言われた時のために、昨夜のうちにコンビニで食パンも買ってある。
簡単な朝食だけど、用意していたのに食べてもらえないのは、こたえる。
― 昨日の夜は、あんなに優しく私に触れてくれたのに…。
私は目玉焼きを口に運びながら、ぼんやりと昨日のことを思い出していた。
拓実くんとは、出会ったその日に男女の仲になったものの、私たちの関係に名前はない。
雰囲気に流され、断れなかった私が悪いのだろうか。
そういえば、拓実くんと出会う前にも似たような経験をしたことがある。
気になる人と仲良くなれても正式な彼女にはなれない。かと言って、誘われて拒む勇気もない。
もう30歳なのに、最近の私の恋愛事情は、こんな具合だ。
「はぁ…」
私は深くため息をついてから、2人分の朝食を無理矢理食べ切った。
◆
翌週の土曜日。
私は、高校生の時からなんとなく通っている、大手のヘアサロンに来ていた。
なぜなら、今夜あたり拓実くんから連絡がありそうだから、少しでもかわいくしておきたいと思ったのだ。
「うわぁ、典型的な遊び人ですねその人、絶対他でも遊んでるよ」
「あはは。ですよねぇ。友達に忠告しときます〜」
へらへら笑いながら私はケープに腕を通す。
当時ただのスタイリストだった担当は、今やディレクターという肩書がついている。
「えっと…メンテナンスカットだけだっけ?カラーは?」
「あ〜、お任せします」
10年通っても敬語を崩せない私は、この人と深い話をしたことはない。拓実くんのことも“友達の話”として相談しているだけだ。
「じゃあ…春だし、ピンクベージュとかどう?」
「はい。それでお願いします」
そう答え、私は会話終了の合図のごとくスマホに目を移した。
「実は僕、今度地元の湘南でお店を出すんです。ちょっと遠いけど。よかったら」
帰り際、彼からショップカードをもらった。
― え?湘南…!?
私はお祝いの言葉よりも先に、戸惑ってしまった。今後は誰に髪を任せたらいいのだろう、と。
「そうなんですね、すごいなぁ。頑張ってください!」
私は嘘くさい笑顔を作り、エレベーターの閉ボタンをこっそり連打する。
扉が閉まり後ろを見ると、どこにでもいる“量産型女子”が鏡に映っていた。
159cmという平均的な身長に、今っぽくゆるめに巻かれた茶髪。
手元には、友達が持っているから真似して買った、ヴァレクストラのイジィデ。
今日のコーデだけでなく持ってる服は、ほとんどが、くすみカラーかモノトーン。
私は個性がないことがよくわかる、“THE マジョリティーガール”だ。
― こんな女、拓実くんが好きになるわけないか。
私は鏡から目を背け、外に出た。
休日の表参道には、案外オシャレな人が少ない。むしろ、私みたいな人ばかりだから安心してしまう。
でも、わかっている。
東京には、ちゃんと個性があって芯があって、素敵な女性がたくさんいることを。
それを見たくないから、見ないようにしているのだ。
駅を目指し歩き始めた時だった。握りしめていたスマホが振動する。
『拓実:休日出勤だったんけど、仕事終わった。これから行っていい?』
― やっぱり連絡きた!!
いつもの一方的な連絡。それなのに、どうしてこんなに嬉しいのだろう。
すぐに返信してはいけないのはわかっている。でも、早く応えなければ他の子に取られてしまうかもしれない。
私は素早く返信した。
『メグミ:いいよ。何時になりそう?』
私は冷静を装って絵文字もスタンプもなしの文字を送った。でも、胸の鼓動が鳴り止まない。
― これは、誰がなんと言おうと恋。私は、ちゃんと拓実くんが好きだ。
このときは、そう思っていた。
◆
「メグちゃん、美容院に行ったの?」
拓実くんは、帰る準備をしながら私に言った。
「気づいてくれた?カラーとカットをね…」
「サロン帰りの髪の匂いがするから。そういうのわかるんだよね〜」
彼は、私の話を遮りながら言い、冷蔵庫を勝手に開けてビールを取り出した。
彼がうちに来たのは18時過ぎで、まだ2時間も経っていない。
このあと誰かと予定があるのだろうか。「夕食どうする?」とは聞けなかった。
「女の子って大変だよね。お店で定期的にトリートメントしないと髪バサバサになっちゃうし」
― 誰の話をしているの?
拓実くんのために行った美容院。かわいいと思われたくて払った2万円、美容師との気まずい会話。
それらを思い出すと、私はホトホトばからしくなり、思わずこうつぶやいていた。
「…もう嫌だ」
私の何かが、プツっと音を立てて切れた。
いきなり会いに来て、バスルームを汚し、勝手にお酒を飲んでいく。
彼が私に何か買ってきたことはないし、最近は夕食も一緒にとらない。
こんなに雑に扱われているのに、どうして私は“拓実くんのことを好き”だなんて思っていたのだろう。
「そのビール、全部飲んでいってね」
私は、彼に初めて指摘をした。
「……え?なんで?」
拓実くんは驚いた後で、すぐに不満を顔に出した。
“俺はかっこいい年下の男。何をしても許される”そんな関係が壊れたからだろうか。
「じゃあ、飲まなくていいから早く帰って。もう会うのもやめよう」
こんな強い口調で、誰かに冷たい態度をとったのは初めてかもしれない。
でも、それは意外と普通にできた。これまで男の人に対して嫌われないように必死だった。
量産型で個性のない私を、愛してもらうために、尽くすことしか思いつかなかったから。
でも、そんな思考は今日で卒業したい。
「バイバイ」
私は、拓実が出て行ったあとの玄関でつぶやいた。
◆
それから1ヶ月後。
私は、担当の美容師が独立したのを機に、別のヘアサロンに行くことにした。
いつもは、サロンのお任せで美容師を選んでもらうけど、今回は、Instagramで見かけた女性のスタイリストを指名した。
「本当にバッサリいっちゃって大丈夫ですか?」
「はい。お願いします」
意味もなく伸ばし続けた髪を、自分の意思でショートカットにした。
それは“周りと同じ”でもなく、“モテそう”でもなく、私がしたい髪型だ。
― わぁ、すごい!!
完成したヘアスタイルに、思わず笑みがこぼれる。
「短いのも似合いますね!うん。絶対こっちの方がいい」
「ありがとうございます」
「あ、それと…さっき話してたお店、ここです」
私は、スタイリストに教えてもらった表参道のセレクトショップに向かった。
彼女が、すごくオシャレだったから参考にしたくなったのだ。
「メグちゃん!」
スマホで地図アプリを見ながら、表参道を歩いていると急に名前を呼ばれた。
― 拓実くん…しかも、デート中?
「全然わかんなかった。髪切ったんだ!めっちゃ似合ってんじゃん。この後ひま?飲みに行こうよ。おごるから」
「……」
一方的に決める拓実。相変わらずの自己中心的な発言に、私は落胆した。
一緒に食事したことなど数えるくらいしかないのに、いつもそうしているかのような口ぶり。
そもそも、横にいる女性はどうするのだろうか。
しかし、彼なら今ここで彼女と解散することも簡単なのだろう。そういう男だから。
もう彼に振り回されるつもりはないし、いつでも会える女もやめた。
「拓実くんも早く気づけるといいね」
「ちょっ、メグちゃん。待ってよ!」
私は、拓実の呼びかけを無視して歩き出した。
これからは、もっと自分のことを大事にしようと決めた。
そうすれば、相手のことも大事にできるし、きっと男性も私のことを大切にしてくれるはずだ。
私は、“量産系女子”からも、“名前のない関係”からも卒業する!
そう決意して、過去の自分を断ち切るように、早足でセレクトショップに向かった。
▶他にも:交際1年の記念日ディナー。プロポーズを期待していたが、彼の口から出たのは意外な言葉で…
▶Next:3月9日 木曜更新予定
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