
みらん
情景が浮かぶメロディー。なにげない日常の風景が美しく見えて、やりどころのない切なさや焦燥すらも愛おしく感じさせてくれる歌詞。そしてモヤがかかった心に寄り添っては、晴らしてくれるあたたかさが、シンガーソングライター・みらんの歌にはある。そんな彼女の真骨頂ともいえる新曲「レモンの木」が昨年12月にリリースされた。歌詞世界の暮らしと心象描写に共感せずにはいられない、壮美なバラードとなっている。本作ではみらん本人がガッドギターを弾き、 バイオリンにHomecomingsの楽曲等への参加でも知られる安田つぐみを迎え入れ、 前作「夏の僕にも」同様に久米雄介がプロデュースを担当。今月からは本作を引っ提げたライブツアー『星を飛ばす』が、2月10日(金)に名古屋・KDハポン(w/秋山璃月)、11日(土)に京都・UrBANGUILD(w/リコ(ヤユヨ))、3月3日(金)に東京・月見ル君想フ(ゲストあり)で開催される。
今回のインタビューでは、活動開始から約5年の間での変化を紐解きながら、本作の制作過程や今後の展望について話を訊いた。彼女は今、何を感じとり、歌に昇華しているのだろうか。そこには、彼女の描く「私/僕」と「君」のように、込み上げる感情と折り合いをつけながらも、ひとりではなく誰かと関わることで生まれる可能性、そしてそのバランスを保つことでえられる平穏や地平線のような広がりに希望を感じているように思えた。ぜひ楽曲を聴きながら、そしてライブで彼女の歌を目の当たりにしながら、自分自身の経験や感情と照らし合わせてみてほしい。きっと晴れやかな気持ちで、次に向かう活力が湧いてくるはず。

みらん
ーー初めてみらんさんのライブを観たのは、2019年あたりで。1999年生まれなので、その頃は20歳でしたよね。そもそもライブ活動はいつ頃から始めたのですか?
高校を卒業してからなので、18歳です。在学中に竹原ピストルさんのライブを観て、感動して「私も弾き語りをしたい」と思ったことがキッカケでした。その頃は実家が兵庫県の宝塚だったので、よく神戸のVARIT.にThe Songbardsを観に行っていたんですけど、その頃からオリジナルの楽曲を作っていたので、ライブハウスのスタッフの方に「歌いたいです」と伝えて出してもらうことに。なので初めてのライブハウスでのライブはVARIT.でした。たまに記事などで「神戸発」と書かれていたり、今も神戸在住というプロフィールになっていることもあるんですけど、よく神戸に出ていた当時のイメージがあるからだと思います。
ーーそれから数えて約5年、最近ではメディアでもよく見かけるようになりました。昨年の3月には、映画『愛なのに』(監督・城定秀夫、脚本・今泉力哉)の主題歌として、プロデューサーに曽我部恵一さんを迎えた「低い飛行機」が起用され、同曲を含む2ndアルバム『Ducky』が初めて全国リリースされたり。活動の幅がグッと広がりましたね。
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NOTTというレーベルにお世話になりはじめてから、いろいろな方面で活動させていただけるようになったと思います。1stアルバムの『帆風』まではずっとひとりで活動してきて、宅録してリリースしてもどう広げていけばいいのか分からず……。リリースツアーとかもしていなかったから、反響とかもあまりわからないまま、リリースして終わり、みたいな。だけど、NOTTの方が声をかけてくれたことで、一気に新しい活動がスタートしたような感じがします。
ーーレーベルとの出会いのキッカケというのは?
大阪のLive&kitchen 歌う魚によく出ているんですけど、そこのブッキングしている方と今のマネージャーがつながっていて、SNSで知ってくれたのか声をかけてくれて。
ーー今まで全てひとりでやってきた分、他のことなど任せられると楽曲作りに集中できるようになったり変化はありましたか?
いままでよりも曲を作るようになりましたね。ひとりだとそこまで曲作りをしようとは思わないタイプで。『帆風』もコロナ禍で外に出れなくてほかにできることがないから作れたところもあるので、「次はこういう曲を出したらいいんじゃない?」とどんどん言って後押ししてくれるから助かっていますね。
ーー意外ですね。みらんさんの楽曲は、日常の中で浮かんでくるモヤモヤした感情だとか、逃したくないキラキラした情景が詰まっているものばかりだと思っていて。日々そういった感情や景色を歌わずにはいられないような、原動力があってどんどん曲作りをしてきたタイプなのかなと思っていました。