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新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「タイガーマスクに対抗!全日本にジュニア王者」

アサ芸プラス

 この大仁田の帰国を前に、新日本の新間寿取締役営業本部長が「あのベルトの第1挑戦権は新日本所属レスラーにあるということになっていたのに、チャボが勝手にアメリカで大仁田と防衛戦をやって取られてしまった。ウチのWWFジュニア王者のタイガーマスクはNWA世界ジュニア王座への挑戦が決まっていて、必ずやWWFとNWAの2冠王になると信じている。もし大仁田がベルトを持って帰ってくるなら、タイガーマスクとジュニア世界統一戦をやろう」と挑発発言。

 これは停戦成立を踏まえた上での新間のタイガーマスク2冠達成に向けての話題作りであり、同時に全日本の大仁田にも注目が集まるようにという配慮もあった。当然、馬場もその真意がわかっていたから「正式な申し入れがあったら検討しますよ」と定番のコメントを出すだけだった。

 タイガーマスクは期待通りにWWFとNWAのジュニア2冠王になって、まさに絶頂期に突入。それだけに対抗馬と見なされた大仁田は辛かった。

 馬場が大仁田を帰国前にメキシコに送ったのは、空中殺法をマスターさせるためだったが、付け焼き刃の飛び技は、タイガーマスクの四次元殺法を際立たせるだけだった。

「あの頃はちょうどタイガーマスクの全盛時代で、俺にとっては辛い時代だったよ。彼と俺のスタイルは全然違うからね。チャボからベルトを獲った後に2カ月ぐらいメキシコに行って、トペとか空中殺法も覚えたけど‥‥別に覚えたくもなかったんだよ。でも、会社も馬場さんも、俺が飛ぶことを望むから無理してやってたけどね。あの頃は扱いとは裏腹に楽しくなかった」とは、大仁田の述懐だ。

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 大仁田は翌83年4月20日に左膝蓋骨複雑骨折の重傷を負って1年1カ月の長期欠場を余儀なくされ、その間の83年8月12日にタイガーマスクこと佐山聡は虎のマスクと2本のベルトを返上して電撃引退。タイガーマスクと大仁田の新日本vs全日本ジュニア頂上決戦は実現することはなかった。

 両雄がリングで相まみえたのは2012年3月16日の後楽園ホールにおける、佐山主宰のリアルジャパン・プロレスのリング。対決が期待されてから30年後のことだった。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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