現在、大ヒット上映中の「Dr.コトー診療所」は、2003年から2006年にかけて放送された人気テレビシリーズの16年ぶりの続篇で、コトー先生演じる吉岡秀隆をはじめ、レギュラー陣が全員再結集したのが、この映画の大きな魅力の一つとなっている。すでに俳優を引退していた原剛洋役の富岡涼も例外ではない。彼はこの映画のためだけに、俳優として復活した。その貴重な富岡涼さんのロングインタビュー【全3章】をお届けする。共演者との再会風景、作品に懸ける想い、役への理解など、16年後の剛洋を演じた富岡さんの心境をたっぷり伺った。(取材・文=前野裕一)
※この文章は、映画の重要な展開に触れています。

「ちょっとでも何かについて考えることで
変えられる未来がある」
──クライマックスシーンのお話をお聞きします。台風災害に遭った怪我人が次々と診療所に運び込まれてきて、病身のコトー先生は満身創痍で患者たちの治療にあたるのですが、ノブおじの心臓マッサージの途中で力尽きて倒れてしまう。それを引き継ぐのが剛洋なんですよね。
富岡 中江監督ともお話したのですが、剛洋は、自分の行動が常に後手後手に回ってしまうキャラクターなんです。誰かから手を差し伸べられるのを待っているわけではないんだけれど、すぐには動けないから、周りに先手を取られてしまう。お父さんとのやりとりなんかがそうで、自分からお父さんに声をかけたいのだけれどかけられず、お父さんから先に声かけられて、それに対して何かを言わなくてはいけない、みたいな。そういうところが、剛洋にはあります。
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──しかし、あの心臓マッサージのところで、剛洋は動いた。
富岡 コトー先生が倒れてしまった。このままではノブおじがあぶない。ここで自分が動かないといけないと思ったのでしょう。今まで「できない、できない、できない」で来ていた自分に終止符を打たないといけないと。「医者じゃなきゃ人を救えないっていう、そんなことを思ってるんだったら医者にならなくてよかったね」というコトー先生の言葉が、剛洋の心の底に響いたんでしょうね。
──コトー先生のバトンを受け取るのは、判斗先生(髙橋海人)ではなく、やっぱり剛洋なんですよね。剛洋がノブおじに駆け寄って、心臓マッサージの続きを行う姿にはグッときましたね。
富岡 ああ、ありがとうございます(笑)。
──そんな剛洋の姿を、言葉なしに見守る剛利さんの想いが胸に迫りました。剛洋はその後も、シゲさんの手当をしていますね。
富岡 なんていうか、罪滅ぼしのところがあるんでしょうね。みんなの期待に応えられなかったという。彼の中には自分と闘いきれない弱さがあった。彼は本当に複雑ですよね。
──その複雑さが見事に表現されているところが、この作品の一つの魅力でしょう。剛洋は大きくつまずきましたが、ここで立ち上がることができればいい医師になれるのではないか、という予感がします。
富岡 中江監督も「いろいろな経験をして、大きな傷を味わって、それがあるからこそ、できることがあるんだよ」って話してくれました。
──今回の映画を見て、富岡さんはどういう感想を持たれましたか。
富岡 しっかり生きるためには、一つ一つ丁寧に考えていかなければ、と思わされました。今までの作品でもそうだったんですけど、志木那島で生きている人たちは、みんな温かいですが、実はそれぞれに悩みを抱えて苦しんでいることもある。でも、それにめげずにしっかり生きていかなくてはいけない。今回の作品でも、コトー先生みたいな人が島にいなくなったら、どうするのか……判斗先生は「この島の医療はたままた五島先生のような人がいたから成り立っていただけだ」という意味のことを言いますね。それは正論だと思います。いつかそういう状況になってしまうこともあり得ると思う。島の人たちもそれはわかっているけれど、日々の中で忘れがちになっている。これは離島の医療問題に限らず、僕なんかもそうですが、忙しさの中で今日を乗り切ることに集中して、ただただ一日一日が過ぎ去っていくんです。でも、やっぱりどこかで、ここはもうちょっとできるんじゃないか、明日はここをもう一度考え直さないと、ということをやらないといけない。ちょっとでも何かについて考えることで、変えられる未来があるというか。コトー先生の必死に闘っている姿を見ると、自分も意識していかないといけないなって思いました。