
ひょんなことがキッカケで、自分の中に眠る凶暴な一面に気づいた芦原。人は“定められし運命”から逃れることはできないのであろうか――。苦悩と葛藤を抱えながら、懸命に生きる男の物語。※本記事は、楢井春生氏の小説『パペットのように』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
一部 ボートショーは踊る
ロンドンのボートショーでジムのあのパペットの踊りのワンマンショーを見てから六カ月余り経ったその年の夏、俊夫はソナーの開発の進展に伴い新たに市場調査の為にヨーロッパを回る計画を再び立てた。出張先の日程を練っているうちに、ふと、またジムに会ってみたいという気になった。
あのパペットの踊りのことは俊夫の心に何時までも刻み込まれたままになっていて、時折俊夫はふっとジムのあの時の絶妙な踊りの仕草を思い浮かべ、にやりと頬を緩める。そのにやりは、しかし、ふいと頬に止まったまま動かなくなる。あのパペットの踊りの仕草は、ジム自身も気付かぬままに、俊夫の中に潜ひそんでいる何か得体の知れない衝動を探り当てたものではなかったか。
あの日、あの瞬間にも俊夫は本能的にそう感じ背筋を凍らせたのだった。ショーの最終日の弛緩した雰囲気、笑い転げる日本人たち、そして遠くで奇異な眼差しでその騒ぎに目を注ぐ、他の小間の連中たちの記憶は確かに薄れていったが、反対にジムのあのパペットのように、ぎくしゃくとした身振りで踊り跳ねる姿は、ジムの顔の表情の変化と共に、記憶の中で生き生きと蘇よみがえり、それらには肉付けが施されていく。
あの場所で笑い転げていた観衆の誰一人、多分ジム自身ですら、俊夫の心にそんな変化が訪れるなど思いもよらなかったろうし、期待もしなかったろう。誰にとってもそれは雑然と過ぎていく日々の中での一時の出来事に過ぎなかった筈だ。
広告の後にも続きます
そんな心の背景があって、俊夫はイギリスのドーセットの片田舎のプールという町にジムを訪ねる気になったのだ。思い立つとすぐにメールを送ってジムと連絡を取った。
『歓迎します。会社の近くにホテルの予約を入れておきます』
そんなジムからのメールの返事はとても温かいムードに溢れていた。
ドーセットのプールの町にジムが予約してくれたホテルに到着した次の日の朝、時差のせいで時間の感覚が定まらないまま、まだ日が昇らない薄暗い時間に起き出してホテルの近くを散策した。
明け染めたばかりのプールの町は、まだ夜が息づいていた。コナン・ドイルの愛した妖精がどこにもかしこにも漂っているような可愛く、不思議な雰囲気のプールの町だ。朝の町角という町角にパンの匂いとダージリン紅茶の香りが充満していた。町の雰囲気とその香りはとてもマッチしている。取り留めのない日常の生活感がオブラートに包まれ、超自然的な雰囲気を醸し出している。
休日の土曜日だったにもかかわらずジムは朝の十時、約束の時間ぴったりにラフなジャージー姿で車でやって来た。