
誰もがコロナ禍の生活に倦厭している今だからこそ、読者の心をも明るく照らすようなエネルギーに満ちた本作は、多くの人に届けたい一作 ※本記事は、幻冬舎ルネッサンス主催『「旅行記」コンテスト』大賞作、亀井健司氏の『ロッキー山脈を越えて』より、一部抜粋・編集したものです。
【前回の記事を読む】「俺は、一体何をやっているのか」…アメリカ一人旅の理想と現実
三 アメリカひとり旅
荒野を走る「グレイハウンドバス」。
バスに乗るときは、いつも後部座席と決めていた。しかし、今回の長距離の移動は、いちばん前の座席に座った。なぜなら前方の景色が一望できるからだ。後部座席からの景色は、見渡す限りの荒野で、なんの変わりばえもしない景色の連続だったが、前方の座席は、フロントガラスを通じて足下から延びる一直線の道が見られる。
この景色も同じ景色の連続だったが、その延々と続いている道の先には目的地があると思うと、なにか希望が持てた。
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遙か彼方の地平線の先には、
「まだ見ぬ楽園があるのではないか?」
という希望があった。

今回のバスの中の滞在時間は、半端ない。停車地点と停車地点との間の距離を考えると、半日はかかりそうだった。時刻表などなかったので、持っていたガイドブックの地図から距離を推測し、想像するしかない。バスの運転手に訊くのがなんとなく恐かったので、
「自分を自分で信じるしかない。」
と少しずつ思うようになっていった。こんなに同じ姿勢を保ちながらバスに乗っていたのは初めてだった。退屈を通り越して、だるさと嫌悪感とがごちゃまぜになって、