
淀んだ溜め池を臨む作業場(アトリエ)の窓辺にたたずみ、修作は過ぎ去った日々にとりとめなく思いを馳せる。幼き日の不安定な境遇、高校・美大受験での挫折、実らずに終わった恋愛の数々、職業生活の蹉跌——常に生きづらさを抱え、愛を求め続けてきた半生を振り返り、狂おしく紡ぎ出されるモノローグの中、修作は改めて思い至る。文学、美術の創造行為のみが変わることなく自身の救いであったことに。※本記事は、森下修作氏の小説『ノスタルジア』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
十六
意識を束ね、長い間忘れていた記憶が惰性的に蘇ったりあるいは埒もない時の夢を打破して現実の記憶に悪びれて着床させてしまう。たとえばある日など修作は声にこそ出さないが心の内では、こんなことをしていていいのか、ふと自分でやっていることがわからなくなり、ああ、という嘆息を心のなかでもらし、空っぽの問いがもたげてくる。
粘りつく昼下がりにラジカルな視線を相変わらず交わしすれちがう。すべては衆生の集まりだと街を眺める。桜もだいぶ散ってどこからきたのか舗装路の端にふきだまっている。 花冷えの哀しき匂いにちがいない。ふきだまった花弁のひとひらひとひらまでが衆生に思えてくる。
冷たい雨が花を散らすことにまるごと楽しんでいるかと思うと、別の日には修作は汗ばむ暑さに小屋に上着をあわてて脱ぎにかからなければならなくなる。今はそんな季節だ。季節の変わり目、変化の時は人間もまた体調の変化、変わり目に注意しなければならないとはよく聞くことだ。植物ひとつみても日一日と刻々変化をしていく。
わずかな小さなスペースを見つけて子孫繁栄を淡々と繰り返し、少しも手を抜かない。植物にかぎらず小さな生物たちを見ていると本来人間もこうした子孫繁栄に精を出す生き物だったはずだが。
十七
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過去の記憶、出来事、皆幻のよう、過ぎたこともこれからはじまる未来もまた、幻想のなかに漂白した、屍のごとき、乾いた白い光。あなたには雅やかなこの怪人も、たおやかな旋律に戦慄し、陶酔すらしている。深い深い音のなかにひきずりこまれたロビンソンの苦しみ。
遠く離れた場所に移動した旋律が、また思いも寄らない時に、宇宙の果てから耳元にやさしく微笑む。狂気に満ちて、光満ちて、原子のそのなかに宿した光満ちて、その横溢に散らばる原子の子ら。
吾のすべての細胞の子に捧ぐ、芳しき旋律。
祭りの準備はととのった 島中が平穏を願い獅子が舞う
海はエメラルドグリーンに輝き 老若男女が群れ集う
ぼくらはみんな原始原子の結晶であり みんなの慰めは原始原子の子どもたちの戯れ