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【年俸今ならいくら?】毎年150イニング以上計算できた三浦大輔!25年ベイスターズを支え続けたハマの番長

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【年俸今ならいくら?】毎年150イニング以上計算できた三浦大輔!25年ベイスターズを支え続けたハマの番長

昭和、平成のスーパースターが21世紀にプレーしていたら?球界のレジェンド今なら年俸はいくら?

かつてのスター選手が、“もしも”現代のプロ野球界でプレーしていたら……という“if企画”。今回は少し趣向を凝らして、現役の監督の“妄想年俸”を算出してみた!

現代ならさらに好評価!25年投げ続けた鉄腕

ベイスターズを支え続けたハマの番長:三浦大輔
【妄想生涯年俸】
50億960万円 (年平均2億38万円)

横浜一筋25年、代名詞のリーゼントで「ハマの番長」と呼ばれ、通算172勝をマークした三浦大輔。2021年から満を持してベイスターズの監督に就任。1年目は最下位に終わったが、巻き返しが期待される若きリーダーが横浜に入団したのは、1992年のこと。

高田商では甲子園出場はかなわず、全国的には無名の存在。当然、ドラフト順位も6位と低かった。1年目の妄想年俸も、現在の相場と合わせて480万円とさせていただく。プロ1年目は1試合の登板にとどまったが、シーズン最終戦で3番手としてマウンドに上がり、2回をパーフェクトに抑えている。

2年目以降も地道に1軍出場機会を増やし、ブレイクしたのがプロ4年目。25試合に登板(先発22試合)して8勝、規定投球回にも初めて到達した。ここから三浦大輔は「ハマのエース」への道を駆け上がっていく。

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1997年には自身初の2ケタ勝利を記録し、翌年にはキャリアハイの12勝で球団38年ぶりの優勝にも貢献。ちなみに同年、背番号を46から引退まで背負う18に変更している。

妄想年俸でもこのあたりで年俸が1億円を突破。以降は成績と比例して年々上昇していくのだが、三浦大輔の年度別成績を見ると、実は「突出」した成績を残した年がないことにも気づく。

勝ち星のキャリアハイは1998、2005年の12勝。主要タイトルも2005年に獲得した最優秀防御率と最多奪三振が1回ずつ。ただ、勝ち星に関して言えばチーム事情も大きく影響している。三浦大輔在籍時の横浜はいわゆる低迷期が長く、25年の現役生活で優勝は1回だけ。特に2000年以降は三浦大輔が引退するまでの17年間でAクラスがわずか4回、最下位は実に10回も記録している。もし、違う球団でプレーしていたら、通算200勝にも届いたかもしれない。

それを裏付ける数字が、三浦大輔の「投球回数」だ。規定投球回到達回数は実に15回、通算3276イニングはNPB歴代18位だが、上位のほとんどが先発ローテーションという概念もなく、先発=完投が当たり前だった昭和中期にプレーした投手たち。ちなみに、現役投手では石川雅規の2953回が最多で、今後三浦大輔の記録を上回る投手は現れそうにない。

そして、この「投球回」こそ、現代の先発投手が評価される大きなファクターのひとつだ。球数制限やローテーションの確立で、日本のプロ野球界では現在、「規定投球回到達」自体が大きなハードルとなっている。

2021年、無双の投球を見せた山本由伸ですら、投球回は193回2/3と、200イニングに届いていない。ましてや三浦大輔のように毎年コンスタントに150~200イニングを計算できる投手など、現代にはほとんど存在しない。当然ながら、その“強み”は妄想年俸にも大きく反映される。現代なら国内FA権を取得する2000年オフには5年総額15億円、契約満了後も変わらぬ安定感を見せていたため、2006年からは3年総額12億円レベルの大型契約を結ぶはずだ。

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